少女妄想中。 / 入間人間

 

少女妄想中。 (メディアワークス文庫)

少女妄想中。 (メディアワークス文庫)

 

「私のこと、ちゃんと恨んでますか?」

 入間人間で表紙イラスト仲谷鳰と言われると、めっちゃ百合な作品なんだろうと思うのですが、自分だけに見える相手の背中を追いかける少女と彼女を見続けた友人の話「ガールズ・オン・ザ・ラン」、白昼夢のような世界で少女に出会う話「銀の手は消えない」と、百合っぽくはあるものの入間人間らしい、少し不思議で理由はないけど実感はあるみたいな話が続きます。なので、これはそんなに百合百合してはいない作品なのだなと思ったら「君を見つめて」がやばかった。そりゃあ表紙はこの話だわと。

まるで世捨て人のような叔母の店に足繁く手伝いに来る姪の話なのですが、彼女は物心付く前に振り回した玩具で叔母の片目を傷つけ、視力を奪っている。二人の関係の最初のところにそれはあって、それを軸にしながら別の感情で惹かれていく姪の話で、これが非常に良かったです。

入間人間の百合というと「安達としまむら」で、あれは安達としまむらの考え方の違いから、平和な日常の裏でもういつ崩壊してもおかしくないような緊張感があるのですが、こちらはもうインセストタブーど真ん中であるにも関わらず、どこか飄々と、淡々とした感じなのが特徴的。たぶん、達観したところと幼さを併せ持った、まさに世捨て人的な性格の叔母が受け流すからそう見えるのだと思うのですが、かなりグイグイ来る姪が踏み込んだ時に一瞬垣間見えるザラッとした領域、みたいなものがあってざわっとします。そして彼女は、ふざけたように受け流すし、好きになる人は選びなさいと諭しもするけれど、拒絶をすることはない。

二人の関係の核には常に彼女が彼女を傷つけたことがあって、だから姪はまるで確かめるかのようにそれを踏みさえする。でも、彼女たちを繋ぐのは傷ではあっても、そこに暗く淀んだものは感じられません。そうでなければ現在はなかったと、失ったものも手に入れたものも、そういうものとして生きていくのだと彼女は言う。

だからこれは、傷と諦念と初恋の情熱と不思議な前向きさでできた、少し変わった、とても素敵な物語だと思います。良かったです。

ダンガンロンパ十神 下 十神の名にかけて / 佐藤友哉

 

ダンガンロンパ十神 (下) 十神の名にかけて (星海社FICTIONS)

ダンガンロンパ十神 (下) 十神の名にかけて (星海社FICTIONS)

 

なるほどそういうことか! というか豪快すぎる収束というか何というか。

ダンガンロンパ鏡家サーガのダブルパロディのような体で進んできたシリーズが、間違いなくダンガンロンパのノベライズであり、十神白夜を描いた作品であったということが明らかになる最終巻。

筆記システム、ボルヘス、誰が語り手であったのか。介入されたレイヤーがそのメタな領域であるなら、改竄された物語が別の世界を語りだしてもそれは仕方がないというか、それすらもフェイクであったというか。

この辺の展開も、小説のメタな領域への踏み込みも、ジャンクな切実さも佐藤友哉作品らしく、けれど着地点はダンガンロンパの世界の範囲にきっちり合わせてくる感じで、確かにこれは佐藤友哉×ダンガンロンパだったのだと思いました。あんまりちゃんと収束するものだから、滅茶苦茶やっているように見えたこれまでの展開からすると、それはそれで物足りない気もするのですが!

と思いつつも、上中下に渡ったこのシリーズがなんだったのかと言えば、そんなものは全部些細な事であって

白夜様は神様です

と思い、言葉にし続けた、たとえ何が起きてもそれを貫いた『青インク』の物語であったのだと思います。最後まで、彼女の語りがとても魅力的な作品でした。

大橋彩香 1stワンマンライブTOUR2017 OVERSTEP!! 3/5 @ 豊洲PIT

 

若い子はちょっと見ないうちに成長するとはよく言いますが、去年の1stライブから1年足らずでこんな長足の進歩を遂げているなんてとびっくりしました。1stも好きだったのですが、今回を見ると、あの時はとにかくしっかり歌うことで一杯だったんだろうなあと。そのくらい今回は自然体に見えたし、魅力であるよく伸びる歌声も、ステージ上での振る舞いも、安心して見ていられるような、こう、プロのアーティストなんだなあと思わせる堂々たるパフォーマンスだったと思います。一つ上の領域に手がかかったというか、これからが本当に楽しみになるようなライブでした。

そんな感じで全体的に余裕が見えてきたのですが、その余裕からか、一曲ごとにどうやって歌おうかというのを考えているんだろうなあというのが見えるライブだったなとも。最新シングルの「ワガママMIRROR HEART」の収録3曲はどれも曲の内容に対して演技をするように歌っていて変化を感じたのですが、ライブで見ても曲の世界観に対して歌と表情でどう演じるかというのが感じられたのが面白かったです。ああこの人は、アーティスト活動をやるけれども、根は役者であるのだなと思ったり。

ただ、そうやって演技として感情を乗せるようになったことで、楽曲それぞれに情感豊かになったものの、より本人の素の部分は見えなくなったように感じるところも。たぶん今やっている方向性が大橋彩香のアーティスト活動としてはあっているのだろうと思いつつ、素に近いものと本人が述べているような曲だと、もっと直接的に感情をぶつけてくるようなパフォーマンスも見たいなと思いました。完成度とはちょっとベクトルの違う、その時のその人にしか出せないもっと生っぽいものというか。その辺りを期待すると、飾りがなかった分初期衝動をぶつけるようなところのあった1stの方が、素の見えるライブだったという気はします。

とはいえ、完成度は断然今回の方が上でしたし、大橋彩香のライブの方向性というか、型みたいなものがとても良く見えるライブだったと思います。このあまり前のめりではないけれど、伸びやかできらきらしていて気持ちの良い空気感。ああ、こういう方向で進んでいくんだな、それならこれからもっともっと進化していく姿が見られるのだろうなと。

ちなみにサイリウム禁止の結果としては、特に違和感もなくクラップ多めの現場になっていた印象。個人的にはこの感じ、特にオルスタという形式には合っていて良かったと思います。

魔法少女育成計画 キャラクターソングLIVE 「Musica Magica」 3/4昼の部 @ 舞浜アンフィシアター

 

TVアニメ『魔法少女育成計画』キャラクターソングアルバム「Musica Magica」

TVアニメ『魔法少女育成計画』キャラクターソングアルバム「Musica Magica」

 

 声優という職業の魅力と聞かれた時に、人間じゃない役が演じられたり、年齢にとらわれずに演技ができることと挙げているのをよく聞くのですが、こうやって本人出演のイベントでも10代の新人から50代の大ベテランまでが魔法少女という全く同じ土俵に上がって、全く同じ条件でライブをするというのを見ると、声優界まじファンタジーと思わざるをえません。

ただ、「老若男女誰でも魔法少女になれる」が魔法少女育成計画の大きな設定なので、原作にとても忠実という気もしますが!

そんな訳でまほいくキャラソンライブ。キャラソンCDがとても良かったので見に行ったのですが、ライブはもちろん、収録がないからかフリーダムすぎるMCも大変面白い良いイベントでした。

まほいくキャラソンは単純にキャラクターが歌っている曲というだけでなくて、非常に物語性が強い、これ自体がキャラクターのことを表現している曲になっているのが良くて、それだけに実際にキャストが歌と振り付けでそれを表現するのを見るのが面白いなと。特にリップルとトップスピードや、ルーラとスイムスイムのように関係の深いキャラクターの組み合わせになっている曲はそう感じます。

そして曲としてはスノーホワイトラ・ピュセルの「ユメトユメ」が、やはりまほいくを一番表現している曲になっていてグッと来るものが。ラ・ピュセルと一緒に歌う曲ですが、無印以降のシリーズ通じたスノーホワイトのテーマにもなっている曲だと思います。

今でもこっそり夢見てる 2人で信じた夢のため

負けるわけに いかないから

 なんて歌詞、まさにあの修羅道を行くスノーホワイトさんを支えるものであり、呪縛しているものだよなあと、改めて。しかもそれをもう失ったラ・ピュセルとともに歌うというのがなんとも。

あとは「Forget me Not...」が、全編スノーホワイトへの陶酔と妄執で溢れた、もう最高にハードゴア・アリスって曲で最高でした。

MCの方は下手に喋れる声優勢揃いという感じなので、もう最初の組からひどいひどい。話しだすとすぐにウケを狙う方に趣旨から外れていって、最終的にトーク切り上げてくださいと指示をされてるのは面白かったです。中身は色々ありすぎたので割愛しますが、最後の死んだ順番に並んでの挨拶まで、自由すぎるトークの応酬に死ぬほど笑わせてもらいました。若手の暴走を上回っていくベテランの姿に、芸能界で何十年生きてきた人はちょっと存在の格が違うな……と思ったり。

とにかく、まさかトークがこんなに面白いイベントだとは思わなかったです。あと井上喜久子17歳に生で「おいおい」できる機会がこんな所で巡ってくるなんてと地味に感動。あと初めて見た新井里美から新井里美の声が出ていたのも何故か感動しました。

 

あと、このイベント、随所に謎の熱意が感じられて凄いと思いました。

アニメ化→キャラソン発売→アニメのイベントみたいな普通の流れではなくて、とにかくこの16人をキャスティングしたからには全員揃えてライブがしたいんだという情熱で生まれたような。キャラソンライブという形態もあってか、原作に寄せたものではなく、キャストによるライブという感じでしたし。

そもそも、井上喜久子緒方恵美、さらにはライブで大舞台は初めてだという新井里美から、今売れっ子の水瀬いのり早見沙織までのスケジュールを押さえ、キャラソンシリーズを売り出すんじゃなくてライブをするために1枚のアルバムで発売し、この日のためだけにやたらと力の入った衣装を作ってと、色々何かおかしい。

なんというか、こう、売れたからイベントやるとか、売るためにイベントをやるとかでなくて、とにかくやりたかったことを多少チケットが高くなったとしてもクオリティ上げてやりきるんだという熱みたいなのが見えるの、好きです。良いもの見たなと、満足度の高いイベントでした。

ラブライブ! サンシャイン!! Aqours First LoveLive! ~Step! ZERO to ONE~2/25 @ 横浜アリーナ

 

アニメでも大きなテーマだった「0から1」。それは、憧れと勢いで走りだした彼女たちが、「0」としか評価されなかった現実にぶつかって、改めて踏み出すはじまりの1歩の物語で、そこには常に憧れの先輩として描かれるμ'sの影がずっと色濃くおりていたように思います。 特にリーダーである高海千歌にとっては、μ'sのようになりたい、μ'sのようになれないというのが大きなテーマとしてあったように思えて、それでアニメを見ていた時にこんなことを書いたり。

keikomori.hatenablog.com

私は、これを書いた時に見たかったのも、このライブを前にして見たかったのも

個人的には、願わくばこれは偉大すぎる開拓者だった先人に憧れた凡人が、その背中を、歩んだ道を追いかける中で、それとは違う何者になれるのかの物語であって欲しいと思います。
そしてそれはまた、声優ユニットとしてのAqoursが、声優ユニットとして規格外の成功を収めたμ'sと比較される中で何者になっていけるかという現実にリンクしていく物語であればと。

に尽きるのですが、その意味で満点回答の1stライブを見ることができたと思います。

ラブライブというコンテンツが積み重ねてきたものを引き継ぎ進化させながら、Aqoursがμ'sの幻影を振り切って、Aqoursとして巣立っていった1stライブ。μ'sを追いかけた人間としては、それを見送って安心する老人のような気分になりました。

 

ライブとしてはとにかくそれが見れただけで満足ではあったのですが、特に印象的だったのは終盤のアニメ挿入歌のところ。ここで、完全にアニメとリンクする構成になっていたのが凄かったです。アニメダイジェスト映像からの「未熟DREAMER」、そして梨子役の逢田梨香子が実際にピアノを弾く中で8人が歌い踊るという演出を決めてきた「想いよひとつになれ」、1曲挟んで更にダイジェスト映像から、アニメ通りの演劇的な演出を入れての「MIRAI TICKET」。

Aqoursは最初からAqoursとして歌って踊ること前提みたいなイメージがあって、ある意味普通のアイドルグループ的な見方も自分の中であったのですが、そういうことじゃないんだなと。とにかく、キャスト選出からアニメから、全てがこのキャスト=キャラクターとして表現するAqours1stライブに向かって逆算されていたものなのだろうなと思いました。積み上げてきた結果がこのライブではなくて、全てがここに結実させるために積み上げられて、そのために皆努力してきたんだろうなと。

そういう意味では、アニメでは唐突で見ていて? となった、あのライブ前に自分たちの歩みを振り返る演劇的なパート。あれがもうアニメを作った時からこの絵が見えていたんじゃないのかというくらい完璧にハマっていて美しかったです。アニメから線を引いて、このパフォーマンスを持って完成したんだなと思います。

あとはとても楽しみにしてたGuilty Kissが二曲とも最高だったりとか、ダイヤ役の小宮有紗がビジュアル的に飛び抜けていてびっくりしたりとか、一人だけダンスのダイナミックさが違った曜役の斉藤朱夏だったりとか。全般的にダンスは1stと思えないレベルで流石でした。

それと、衣装替えの時間に流れるミニドラマパートと言い、キャラとしてのMCといい、ぶっ飛んでいたというか、もはやとんちきだったのがラブライブらしさなのかなと。隙あらば自分のキャラの決めフレーズ的なものを入れ込んでくる貪欲さ、嫌いじゃないです。

86 ―エイティシックス― / 安里アサト

 

86―エイティシックス― (電撃文庫)

86―エイティシックス― (電撃文庫)

 

 電撃小説大賞 大賞受賞作。作者の書きたいことを全部詰め込みながら、エンタメ作品としてもレベルの高い、新人賞大賞作品らしい鮮烈な一冊でした。良く出来た、とは違う、ああこういう新人作品が読みたいんだよなと思えるような。とても良かったです。

帝国との戦争で劣勢を強いられた共和国は、自由と平等の国是を捨て、移民であった有色種に対する差別政策を取って、すべてを奪った彼らを85区外に追いやり、人ではないエイティシックスだと蔑み、そして帝国の無人機レギオンに対抗する、共和国の「無人」兵器ジャガーノートのプロセッサーとして戦線へ駆り出していた。

帝国が自壊した後も共和国国境を襲い続けるレギオン。諸外国からも完全に孤立した終わらない戦争の中で、仮初の平和を享受する白系種と日々死んでいくエイティシックスの少年少女たち。そんなプロセッサーを指揮するハンドラーの任についた白系種の少女レーナと、彼女が指揮することになったスピアヘッド部隊の少年少女たち。これはそんな彼女と、彼らの物語です。

白系種たちが当たり前に受け入れた人種差別政策を間違っていると考え、理想を振りかざすレーナという少女。彼女はとても正しく、善良で、そして青い。スピアヘッド部隊というエイティシックスたちの死を誰より見てきた少年たちとの会話の中で、彼女のそれは次々に露呈していきます。だって、彼女がどれだけ「対等な人間」として接しようとしても、彼女と彼らの立ち位置は違う。そしてそれは絶対に変わらない。そこに対等は存在し得ない。だから、彼女の善良さはたやすく自己欺瞞に変わってしまう。

この小説を読んでいると、共和国の現状やエイティシックスたちの現状にいくつか引っかかるところが出てきます。そしてそれは伏せられたカードのように、順を追って明らかになっていき、レーナに現実を突きつける。ここがどういうことをしてきた国で、自分がどういう場所に立っているのか。それが彼女が諦めずに交流を続けて、普通に会話をするところまでは近づけた彼らとの決定的な断絶で、それを彼らは最初から知っていたのだと。

それでも、明日死ぬかもわからず、実際だんだん人数を減らしていくスピアヘッド部隊よりは、レーナのいる場所は安全なはずで、それが絶望でも、自分たちは選ばれたものだと思い込めば仮初の平穏は得られる。彼女は、恵まれているはずで。でも、この作品が描きたかったのはそんな生き方じゃない。

だから、泣いて、怒って、あがき続けた彼女がたどり着いた言葉は

「おいていかないで」

それは彼らが自ら誇る、自らの道を、たとえ明日死ぬかもしれなくても選んだから。差別され続け、白系種を恨み、それでも白系種と同じことをするクズには成り下がらないと誓ったから。これは、誇りを失わず、矜恃を持って、最期まで戦い抜き、自らの道を切り開こうとした人たちを描く物語なのだと思います。

そして、それはレーナがその先にどう生きるかに繋がります。自身の立つ場所を理解してその意味を抱えて、プロセッサーの死体の上の道を行き、それでもいつかたどり着きたい場所があると。

ラストにかけての展開は、ともすれば甘いと言われかねないもので、でもやっぱりこれでなければいけなかったのだと思います。彼らも、彼女も、その道を選んだのだから、それは同じ方向を向いているはずだから。それを正しいと証明するのが、この物語だから。

帯にあるように、ラストの一文まで文句なし。魅力的なキャラクターたちが何を想い、何をしてきたか、知っているからこそ、この結末に泣きました。とても良かったです。

あ、でも細かい粗はあれどそれを気にさせないくらい引き込まれる物語なのだから、わざわざあとがきで言い訳をするのは逆にどうなのかなと、思ったり。その辺も含めて新人作品らしいとも言えますが。

りゅうおうのおしごと! 5 / 白鳥士郎

 

りゅうおうのおしごと!5 (GA文庫)

りゅうおうのおしごと!5 (GA文庫)

 

 八一vs名人の竜王戦。もともと5巻完結の予定だったというのも納得な、キャラクターを、物語を、作者が思う全てを叩き込むかのような一冊でした。ひたすらに圧倒的な熱量。大きな挫折に行き当たりながら、盤上の神の領域に手を伸ばした少年の姿を、出来る全てで書き尽くしたような。凄い、というか他に言葉もないというか。

名人という壁にぶつかって自分の築いてきたもの全てを信じられなくなった八一に、瀬戸際に立っていた桂香さんが見せた不格好でも粘り強く諦めない将棋。その熱さが再び八一を立ち上がらせる展開。図抜けた才能を持ち、竜王のタイトルをとっても所詮は17歳の少年で、追い詰められ荒れて一人になろうとした彼から、それでも手を離さなかったあいや姉弟子たちの存在。その繋がりがあったからこその、ここに至るまで八一の歩んだ道が無駄でなどなかったからこその。

このシリーズ、基本的に汗と涙と人情の、泥臭く暑苦しい浪花節の物語で、それが師弟の関係だったり、将棋界の人間関係と共に描かれてきたのですが、もっと大きな意味でこの作品自体がそういう物語だったのかなと思います。八一と名人の対局は別の領域に踏み入るものであるからか、もうほとんど盤面のことには触れられません。でも、そこにそういう一局があって、そこに死力を尽くした二人の棋士がいて、八一が積み重ねてきたものがあって、八一が関わってきた人たちと歩いてきた道がある。それをスマートに書くのではなくて、過剰すぎるくらいでも、それをどうにかして表現しようとぶつけるからこその熱量。それが八一たちの生きる道と重なり合って、読んでいて心ごと持って行かれそうになる熱さを生んでいるのかなと、そんなふうに思います。

それにしても、八一が将棋の天才であるということが否が応でも感じられる一冊でした。途中から棋譜を見た桂香さんの対局で、最後の手を当たり前のように読み切っていたのも違うんだなと思いましたし、神にも等しい存在で、それ故に本人について一切描写されてこなかった名人が対局の中で普通の人間に見えた瞬間。あの時、彼は本当に別のステージに上ったのだろうと。

そうなってくると、この先は先に行ってしまった八一を追いかける銀子やあいたちの物語になるのかな、なればいいなと思います。

同じ世界で、たった一人の仲間で家族だった少年に、明確な差を持って置いて行かれた姉弟子のこれからも、どう見ても結婚式的な師弟の契を交わして女流棋士としての一歩をついに踏み出したあいのこれからも、こちらもいい歳なので刺さるものがある桂香さんのこれからも、厳しい勝負の世界の中で希望とそれ以上に残酷な現実も見えていて、それでも彼女たちは諦めないだろうから、もっと読みたいと思いました。

それから、子供ながらに聡くて強くて素直じゃないが故に、一番損するような役回りが巡ってくる天衣にもっと真っ直ぐにぶつかれるような活躍の舞台を、是非に。