クビキリサイクル / 西尾維新

クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

あーうー。読書経験のめちゃくちゃ浅い私には、この小説の新しさとかよくわからないんですよね。何か書こうとするには結構致命的かも。というか、きみとぼくの壊れた世界を先に読んだので、えらい普通だったという気と、いやこれは変だよという気が半々。
それにしても、知識がなくたって、それなりにそれなりの視点と感想があるはずなんですが、読み終わってしばらくしても、どうもこうも自分の中の思考が発展しないです。まとまりもしない。何がわからなかったのかわからない。そんな感じ。青春エンタという事なので、楽しかったで済ませてもいいんですが、そういう感じでもないような気もするのがなんとも。
話は二つに分けられると思います。一つはミステリ。地に足の着いてる方。連続首切り事件に。よくできてると思います。楽しいです。二段落ちもきっちり決まってますし。かなり無理があるって感じもしますが。まぁ、それはそれ。ペンキのトリックは読んでてわかったんですけど、そのあとは出てくる情報いいように踊らされてる感じでした。実際翻弄されてますし。ただ、ミステリって言うのはどうにも作者の掌で踊らされてる感が強いです。誰がどのように動いても、何をどう推理しても、作者が一人の登場人物に「そうなるように読んでいた。」みたいな事を言わせてしまえば、その通りなのですから。作者=創造主な物語世界で、作者に一番近いところに置かれたキャラクターがすべてを見通していたって不思議でもなんでもないですし。物語。事件そのものが仕組まれたものであるのは当然としても、やりすぎは何か違和感を感じます。
二つ目は、キャラクター描写、心理描写、会話といったもの。地に足が着いていないほう。思考というか思想、論理というか感覚。言葉遊びのような文字情報ででてきますが、その向こう側に流れてるもの。雰囲気とか空気みたいなもの。これが、実に私に波長が合うのです。合うのですが、歪んでるなぁと思うことも確か。つまり私が歪んでるのか。否定はできない。いーちゃんと「天才」たちの会話とか、玖渚のキャラクターそのものとか。なんというか、欠けた感じというか。この辺うまく言葉にならないのですが、そういうものから受ける感覚。きっと極めて現代的な。アイデアというか思想の断片というか、そういったものにいちいち引っかかる私は、きっとこの小説に向いているのでしょう。この方面にひたすら純化してたのが、きみとぼくの壊れた世界だったとすると納得がいきます。あれに感じた強烈な違和感とシンパシーが、幾分軽くなって突きつけられてるようなもの。うん。きっと、私は、この思考に不快感とシンパシーを感じて、からめとられている。それだけで、十分な気もします。
ところで、「戯言だけどね」って言うのは免罪符として使うんですかね。発言に対しての、思考に対しての、世界に対しての、自分に対しての。
・・・やっぱり文章としてまとまらなかった。感覚の言語化と論理化は思いのほか難しい。いや、当たり前のことかな。