新世紀エヴァンゲリオン 劇場版

疲れた・・・・・・。たった2時間のアニメでマラソンが終わったあとくらい疲れた。
さて、どしたものでしょうね、これ。まとまらないので徒然に思ったことを。
DEATH(TRUE)2は後半の描きたかったものに合わせて、作品をまとめなおした総集編でした。これがあるから作品全体に一応筋が通ったように見えます。
そして問題はAir/まごころを君にのもう一つの完結編。ひたすら内面に落ちていったテレビ版を、同じテンションで外側まで描いて展開したらなんだか身も蓋も無い大変なことになっちゃったみたいな。話筋は一応あるにはあるのですが、どちらかというと中心になるのは自分/他人とかコミュニケーションといったテーマ部分。そして終わりに近づけば近づくほど、作品自体の物語を語ることは放棄され、普通のアニメだった前半のエヴァと言う作品を踏まえて、その作品を見ていた視聴者やこの作品を取り巻く時代の空気とか文化とか、そういったものまで含めてテーマを描き始めます。物語の中で完結するのではなく、それを取り巻くいろいろなものまで合わせて、見る人まで取り込んで成立している作品と言う印象です。それが見ていて疲れる主要因な気が。
内容的には、感覚的に分かる部分もあるのですが、言葉でどうこう言えない感じ。話筋は全然分からないので、あとはフィーリング頼みなのですけど、それで感じた部分はこんなところで文章にするようなことではなく、自分の中でどうにかするべきもののような気がしますし。というか、こんなものが社会現象になるほどの支持を得たと言うことが驚きです。なんというか、完全にドツボにハマって行き詰ってしまっているような、こういう出発点から始まるものの底の底まで見せてくれたような、そういう印象があるのですが。この周辺世界は10年前にこんなところまでいってしまっていたのか、という驚き。救済されてるんだかされて無いんだか分からないですし。
そしてそれ以前に、その時代、その空気の中で、製作者側の中に沈殿していた心の膿をまっすぐに出せるだけ出して出来上がった作品のような気がするのです。だからそこに共感はできても、肯定はできないと思います。ただ、それゆえに内容を考察したり分析したりするのが流行るのは分かる気が。すごく直接的に、この時代の切り取ったものの一種な感じで、しかも視聴者側にやたらと開かれてますから。
しかし、こんなものを描かれたら、私の世界はそんなものじゃないと見返してやらないといけない気がします。なにか、もっとマシな、もっとポジティブなものであることを、自分の力で証明してみろと挑発されているような気分になりました。