涼宮ハルヒの消失

TV版の2期で正座して待っていたら、まさかのエンドレスエイトに盛大な肩透かしを食らった消失。散々待った上でついに劇場版として見ることができたのですが、待ったかいがあったと言えるだけの作品になっていました。
映画的に、という意味ではTVシリーズか原作でそれまでの話を追いかけていないと訳がわからないですし、映画的な派手さがあるわけでもないのですが、2時間半と言う映画としては長い時間をかけて、本当に丁寧に原作を映像化した作品になっています。私はハルヒは消失が本当に大好きな作品なので、これだけ理想的なアニメ化を見せてくれたらそれだけで大満足。そしてTVで1週ごとに放映されるよりも、これは一気に見れて良かったと思いました。長い上映時間を長いと感じさせないだけの魅力がある作品。凄く良かった!

以下ネタバレありなので格納。
涼宮ハルヒの消失という作品は、憂鬱、溜息、退屈と続いてきたシリーズ3冊を活かして、200ページちょっとの中に様々な要素をこれしかないという構成で詰め込んでいるところが魅力だと思っていて、それは映画版を見ても同じことを感じました。
ここまでの積み重ねの上に生じた意外な人物による世界改変、突然失われる世界と無くして気付く大切なもの、笹の葉の伏線を活かしたタイムトラベルの要素、ハルヒを中心としたSOS団という繋がりの替え難さ、アンドロイドである長門有希というキャラクターに芽生えた感情の芽と改変後の世界に託した揺らいだ想い、そして傍観者であったキョンというキャラクターが自らの意志で成した選択。その中でも、やっぱりこの作品は長門キョンが、何を想い、何を選んだのかと言うところが見所なのかなと思います。
長門の中に積もっていた感情というエラー。キョンに対する微かな想いと、馬鹿げた力に振り回される毎日への疲れ。それが世界改変へと繋がるのですが、その改変後の世界に彼女が残したものはエラーへの対処法としての脱出用プログラムだけでなく、図書館での思い出、そして消失長門キョンへの想い。単純に世界を正すための方策を残すのではなく、意識的なのか無意識の願望なのかはわかりませんが、長門有希が普通の女の子としてキョンを好きでいられる世界を作り、その世界と元の世界の選択をキョンに投げかける辺りに、彼女の中でも処理しきれていない感情の揺らぎのようなものが見えて、そこにこの作品での長門の魅力があると感じました。
そして作品の表側に見えるのはキョンの物語。突然失ったSOS団、そしてハルヒという存在。無くなって初めて気づいた、自分にとってSOS団は、そして涼宮ハルヒとはどういう存在だったのか。達観したような視点を持ってただ巻き込まれるだけだった傍観者は、ここで初めて自らが主役になって、元の世界を求めて駈けずり回ります。醜態を晒しても、絶望しかけても、それでも諦めきれない執着心。たとえみっともなくても、足掻かずにいられない想い。おかしなことは何もない改変後の日常よりも、SOS団やふざけた力を持ったハルヒという非日常を選択すること。それは世界を不安定にする道で、それでも自らが大切だと思うものを選ぶ身勝手な真っ直ぐさが、この作品の魅力なのだと思います。最後の病院のシーンで、SOS団の面々、そしてハルヒキョンのことをどれだけ心配していたのか、その想いが伝わってくるところには、ようやく大事なものを取り戻せたのだと作品に惹きこまれて感動するものがありあました。
長門の問い掛けにキョンが返す答えはEnter。可能性として、秘めた願望としての関係性に対しての否定と、SOS団長門に対しての肯定の言葉は、どこかで揺らいでいた長門の感情にどこまで届いたのか。その答えが、ラストの図書館のシーンならば、キョンが選ぶのがハルヒであったとしても、やはりこの作品は長門有希キョンの物語なのだろうと思います。