零崎人識の人間関係 戯言遣いとの関係 / 西尾維新

零崎人識の人間関係 戯言遣いとの関係 (講談社ノベルス)

零崎人識の人間関係 戯言遣いとの関係 (講談社ノベルス)

クビシメロマンチストの逆サイド、いーちゃんの事件の裏にあった零崎人識による連続殺人事件について。
クビシメロマンチストでは、登場するだけ登場して投げっぱなしに近いまま終了した人識のについての物語。色々なキャラクターの前に表われ、その目線から描かれる人識の姿と、その向こう側にうっすらと見える戯言遣いの姿という作りはファンサービス的であると同時に、つかみどころのない人識というキャラクターがよく分かるような構成になっていたと思います。
それぞれの1人称で語られ、そして哀川潤によって強引に解決をされる事件の空気は、異能バトルものの戯言というよりも初期の戯言という印象で、出口が見えずに内省的に落ちていく江本智恵の語りには、当時はこういう雰囲気が好きだったのだと懐かしく思ったりも。そして、それぞれの語りから見えてくる異様な存在としてのいーちゃんとも普通に付き合っているように見えた、七々見という骨董アパートにおいてある意味埒外にいたキャラクター。彼女がどういうものなのかを、無知の強さというへ理屈じみたロジックで描いていくあたりも面白かったです。まさかこんな人だったのか、と。
4冊の「零崎人識の人間関係」を通じて浮かび上がってきたのは、誰よりも純粋な零崎であって零崎でなく、カッコいいようでどこか抜けていて、可愛いようで恐ろしくて、強いようで弱くて、お人好しのようで殺人鬼な人識の姿。言動はつかみどころがなく、思考は読み難く、誰とでも気さくに話すようでいて芯の部分は誰にも触れさせずに壁を作る。この事件の解決にしても、それは殺人鬼の所業ではないわけで、その動機と合わせて、本当になんだか分からない奴だなと思います。そんな分かりずらい、矛盾だらけの人識というキャラクターが、それでもなんだか魅力的に映るのこと自体が、この作品の一つの面白さなのかなと思いました。
それから、この4冊は同じように人識を描いていながら順序立てずに並行してそのキャラクターを描いていく形になっていたのも面白かったところ。私は双識、出夢、伊織、戯言で読んでいますが、少しづつ埋まっていくピースと、それによって変わる見え方のせいで、別の順番で読んだ人はまた別の印象を抱くのだろうなと思いました。伊織のあの人識が、戯言のこの人識の先にあって、伊織の人識は、出夢や双識とのあの関係をそういう風にとらえていて、と繋がって形作られていくイメージは、確かに4冊バラバラの同時刊行でしかできない面白い構造だったと思います。
そんな感じで人間シリーズの締めくくりにふさわしく、大満足な4冊でした。戯言シリーズで無秩序にばらまかれて回収されなかった伏線をこれほど面白く描けるならば、この世界観でもっと多くの物語を描いてほしいなと思います。