伏 贋作・里見八犬伝 / 桜庭一樹

伏 贋作・里見八犬伝

伏 贋作・里見八犬伝

江戸の町で、狩る者である猟師の女の子と、狩られるものである犬人間伏の大捕物。その伏を巡るいにしえからの因果は廻って、物語は時代を駆け抜けます。
とにかく軽快な文章で読みやすくて、話の動きも大きくキャラクターも個性的。一度読み始めればぐいぐいと引っ張られていくような作品でした。伏というものは何か。その伏を巡る因果。光と闇、狩るものと狩られるもの、自由と束縛。分かりやすい二項対立を軸に語られる物語はエンターテイメントとしてシンプルに面白くて、でもそこかしこに桜庭一樹らしい感性が覗いているのがとても良かったと思います。
一緒に暮らしていた祖父を亡くし江戸の町に山から降りてきた猟師の少女浜路とその兄である浪人の道節が、お尋ね者となっている犬人間の伏たちを狩ろうと江戸の町を駆けまわる話に、伏たちの歴史を調べてきた滝沢冥土の書いた作中作「贋作・里見八犬伝」、そして伏である信乃の語りにより、伏を巡る物語が差し挟まれるような構成。活き活きとキャラクターたちが駆けまわる江戸の話も魅力的でしたが、この作品の中で私が一番面白いと感じたのは「贋作・里見八犬伝」でした。
里見の地に生まれた伏姫と弟の鈍色。父である里見義実に似て、活動的で強く人を惹きつけ、また美しくもあった姫と、大きな頭と小さな体が醜く、人形遊びをしているような子だった鈍色。鈍色の拾ってきた大きな白い犬。そして名前を持たない民の住む、禁忌の場所銀の森。光の中にあり弟を無視していた伏姫と、闇のなかで姉を憎み続けた鈍色。
そんな姉妹の絡まった関係は、里見の地を襲った危機の中で捩れ、やがて反転します。義実の妹の藍色が森で狂って天守閣に幽閉されている事と同じに、光と闇がなければバランスが取れないとでもいうように、里見の地を治め始める鈍色と、犬の妻となり森に落ちた伏姫。数奇な運命をたどる二人の物語は、少女と少年、こどもとおとなといった作者らしいテーマが、超常的なものが当たり前のように遍在する世界の中で語られていくようで、得体のしれない大きな流れに流されていくような感覚がありました。
最後までおとなになれず、またなることを許されなかった伏姫と、村雨丸を握ることで自らの中の小さな遊女を抑え、責任に縛られ威厳を身に纏っておとなになった鈍色。そんな伏姫の姿は、江戸の世に現れた伏姫の系譜である犬人間、伏たちの姿にも繋がるものなのだと思います。何にも縛られずに自由で、埋めがたい寂しさを抱えて、世の中に突然開いた穴のような、自由と裏表の虚無のような存在。社会というものに馴染むことはなく、決しておとなになれずに死んでいき、自由であるが故に我がままに振る舞い、隣り合ってはいてもそれ以上の繋がりを結べない。ずっと続く呪いのような、永遠のこども。
伏たちの因果は、実のところ、この物語が始まった時点では閉じています。そして、その伏を狩る存在であった浜路と道節も、そこに特別なものを見て執拗なまでに伏を追い続けた冥土も、追いかけるようにして江戸の町を去っていく。そうして伏を巡る大きな、一種神話的な物語の最後の1ページは閉じられます。けれど、何もいなくなったはずの後の時代に、形は見えずとも伏はあり続けているのだという余韻を残すような一冊でした。とても面白かったです。