ニーナとうさぎと魔法の戦車 3 / 兎月竜之介

テオドーレの研究所から逃げ、ラビッツに助けを求めた少女アリス。ドクターの元でメイドとして働き始めたアリスとラビッツが一緒に暮らすことになったのですが、いつもオドオドしているアリスには秘密があって、という話。
ですが、このシリーズでその秘密が軽いものの訳もなく、アリスの口から語られるその真実はどうしようもない重たいもの。彼女が距離を縮めようと頑張るニーナに対して、私と友達にならないでくださいというのも、自分を卑下し続け独りになろうとするのも、そういう訳があったからなのだと思わされるようなものです。
ただ、この作品では、その理不尽に辛い境遇を首なしラビッツは仕方のないものとはしません。甘い理想でも、儚い希望でも、それが一見して夢物語に過ぎなくとも、希望を語り、行動に移す。どう仕様も無いと思われた真っ暗な状況を、僅かな光が広がっていくように切り開いていくその姿。
個人的にこのシリーズでラビッツの語る正義は、理想の過ぎる祈りに近い性質のもので、だからこそ重たい状況の中でも尊い、一瞬だけ光る何かのようなものと感じていました。そして、ならばラビッツは長くは続かないし、むしろ死なないと嘘だというくらいに思っていて、だからシリーズが続いていくことに不思議な思いもあったのですが、この3巻を読んでちょっと違うのかなと感じました。
たぶん、ラビッツの光は、仲間との絆と諦めないことですべてを塗り替えていく、実態のある儚くなんてないものとして高らかに謳われるべきものとして描かれるのだろうと思います。都合の良い展開や、甘さも全部含めて、それでも消えない闇を塗りつぶす、物語の中だからこそ描ける明るい光。だから、この作品で敵として描かれるヴォルフや、2巻で敵となったテオドーレは最小限の犠牲を已む無しとする必要悪のキャラクターであって、それを犠牲をゼロにするという理想で闘うラビッツが相対しているのだろうなと。
虐げられ続けた可哀想な少女が、虐げられる原因となった異能の力を持って人々を救い、そして迎えられる。思わず良かったねと言ってあげたくなるカタルシスは、アリスが最後まで優しかったからこそもたらされたもの。そういう意味で、同じ可哀想な少女としてのテオドーレの描かれ方と比べても、この作品の描きたいものの形なのかなと思うのです。
個人的にはある種子供向け童話的なその甘さはあまり好きになれないのですが、これまでの2巻と併せて、このシリーズの在り方みたいなものが見えてくる3巻だったのかなと思いました。