知らない映画のサントラを聴く / 竹宮ゆゆこ

作品の構成上ネタバレしないと感想がかけないので、以下ネタバレありです。



主人公は23歳無職女性。昼間は真夏だというのにエアコンを使わないという己の最後のラインを守りつつ家事手伝いをして、そして夜になると自転車であるものを盗んだ泥棒(変態女装野郎)を探しに出かける日々。就活なんてもうしていない。将来なんて考えていない。そしてある日、ついに家族から自立するようにと家を追い出される。そんな錦戸枇杷の日常は、妙にリアリティがあってあいたたたで。
でも、そんな彼女にどうしてなったのか。盗まれたのは綺麗で完璧だった親友朝野の写真。盗んだ変態女装野郎は朝野のコスプレをした朝野の元カレ。踏み外してつんのめってどうかしてしまったのは何故? それは朝野が彼と彼女の前から、永遠にいなくなってしまったから!
それが明かされるのが120ページくらいで、そこから物語は一気にトップギアに入ります。例えば「とらドラ!」では巻を重ねるごとに上がっていったギアが、もういきなりクライマックス。走り出したらもう止まらない、回って回って回って跳ぶ、ああ竹宮ゆゆこ作品を読んでいるなあというこの感じ。
朝野の元カレである昴の家に何故か転がり込んでしまった枇杷。同棲(?)生活の中で浮き上がるのは、朝野というもう失われてしまった存在が、二人にとってあまりにも大きかったということ。喪失は罪の意識で二人を縛って、けれど決して二人の時間を止めるなんてことはない。コースアウトして身動きがとれなくなったって、生きている人間の時間は流れ続けるから、手が届かない止まってしまった朝朝の影に振り回されながら、それでも二人の時間は進んでいく。無理矢理な納得をしてみたり、理不尽な行動に出たり、怒ってぶつかったり、仲間意識を持ったり、あまつさえどこか縋ってみてしまったり。
竹宮ゆゆこ作品のキャラクターたちは、簡単にラインを越えていくという印象があります。理性と論理だけで考えたらこうするだろう、こんなことはしないだろうという線を簡単に飛び越えて、人と人の関係のなかでそれを踏み越えちゃったらマズいだろうという線だってあっとういう間に踏み越えて。それが奇行だったり、暴力だったりに繋がることだってあって、でもそれが生っぽさとなってキャラクターを突き動かしていくような感覚。理解できるなんて思うな、噛みあう保証はどこにもない。だって彼も彼女も生きているから。余裕なんてこれっぽっちもなくて、時間はどんどん過ぎていって、その中で走り続けて、回り続けるしかないのだから。
走り続けて、最高速でどこかすこーんと抜けてしまったかのような伊豆の旅館でのシーン。そして、枇杷が踏み外してしまった体をよいしょと、まるであっけなく、立て直してそこに暮らし始めるラストシーン。ああそうだよな、そういうものだよな、そうでしかないよなと思うような、これは青春より後の物語。恋かもしれない何かに続く物語。不格好で全然美しくなんてない喪失と再生の物語。だからこそ、ただひたすらに回れ! 跳べ! と叫ぶこの物語は、この上なく魅力的で愛すべきものなのだと思います。素晴らしかったです。