雨の日も神様と相撲を / 城平京

『少年少女青春伝奇』

物語に入る前、一番初めに掲げられるこの言葉。そうなんです。読み終えてみればまさにその通りなんです。しかしまあ、読んでいる最中は一体これは何の小説なのかさっぱりわからなくなるというか、飄々とした語りで緩和されてはいるものの、よく考えればとんでもないことが起こり続け、そしてそこにはそれぞれ全然混じり合わなそうな要素が混在しているのです。
カエル様を神様と崇め、独自に伝わる相撲を神事とし、豊作を保証された不思議な村。小さな体ながら相撲取りを目指せと両親に言われて続けてきた少年と、大きな体と怪力を持ちカエル様の花嫁になることを運命づけられたかんなぎの娘の出会い。神話にまで遡る相撲薀蓄に取り組みにおける技術的な解説。そして少年は少女に頼まれ、外来種に脅かされるカエルの神様に相撲を教えることになって。両親を失った少年を引き取った刑事の存在が物語に殺人事件要素を持込み、少年はカエルの形態に合った相撲の取り口を嫌々ながら考え、そして物語は神様と村のあり方を巡っていく……ってこれなんの話だ、という。
ただ、最後まで読めば一周して少年少女青春伝奇に戻ってくるのです。しかもここまでの混沌と言ってもいいような要素は綺麗にまとまり、よくよく考えると大ネタの連発でかき回された盤面は極めてしっくりとあるべきところに収まります。
これは神様に相撲を教える物語であり、神様と化かしあう物語であり、それ以上にもっと多くのものを化かしながら形を変えていく物語。どうしてこんなものが成立しているのかわからないけれど、読み終わってみれば確かに成立している、そんな作品でした。皆これを読んで、爽やかな読後感の後しばらくしてじわじわと侵食してくる、もしやこれはもの凄いものだったのではないかというこの感覚を味わえばいいと思います。


あまりにもどうしてこうなっているのかわからなかったので、以下ネタバレ含めた考察。







この物語は大きく5つのストーリーが走っているものだと思います。
1.熱心な相撲好きで自分に相撲をやらせていた両親を失った小柄で線の細い少年が、新しく訪れた思議な村でもう一度自らにとっての相撲に向き合う話。
2.かんなぎの家に生まれ、カエル様の加護を受け剛力を持ち、60歳になればカエル様の花嫁になる。そんな家と神に縛られた背の高い少女の恋物語
3.カエル様による豊作の保証と、相撲という強さの基準、かんなぎの家の存在によって長らく続く秩序を持った、久々留木という村に訪れる変化の物語。
4.外来種のカエルに負け続けることで秩序が崩れることを恐れたカエル様に、相撲に造形の深い少年が請われて相撲を教える物語。
5.村はずれで起きた殺人事件を、刑事である引き取り手の叔父とその父の話で触れ、少年が推理する物語。

それで、まず文季と真夏の出会いから1と2が始まり、彼女がカエル様と語り手である文季を引き合わせたことで3が導入される。そして物語は4をメインに据えながらずっと進みながら、文季が家に戻るとちょこちょこと5が顔を覗かせる。ラスト50ページくらいまではそれで安定しているように見えるのです。なんで私はカエルの相撲にこんなに真面目に向き合っているのだろうと疑問を感じつつも、話の軸はずっと4にある。物語の目的は「カエル様たちがアカガエルに相撲で勝つこと」に定まっている。
ただ、実際はここで仕掛けは終わっているのです。文季の相撲への態度も、真夏の想いも、この村が抱えているものも、全部出てきている。
そしてこの目的が達成された瞬間、物語は大きく形を変えていきます。
まず、語り手である文季にとって相撲とは何だったのかという1を起点に、彼が信頼できない語り手であったことが明かされる。彼が嫌々であることを隠しもせずにカエル様に相撲を教えてきたことに意味が通る。読者とカエル様と真夏を謀った彼によって、物語の目的は「真夏から力を奪い彼女を自由にする」に入れ替わる。そのために彼が続けてきた相撲は使われ意味を得て、村とカエル様の秩序体系は見事に逆手に取られ、構図が変わるわけです。
そして文季とカエル様は3である村の秩序について話し合います。神と人の作ってきた関係。60歳を迎えてカエルの花嫁になるというのが神的な必然ではなく、神と人の関係において求められたものであること。そこに持ち込まれる変化の必要性。イノベーション。4でやってきたことがそっくり大きな話に置き換えられながら、新しい秩序が模索される。
それはまた、『虚構推理』でやっていた、実際にそうであることが真実ではなくて、人に求められるものこそが真実になり得るというテーマなのだと思います。怪異たちの知恵の神のモチーフも含めて、この辺りは『虚構推理』からの延長線上にあるんだなという部分かなと。
ただ、これはまだ最初のどんでん返しにすぎなくて。
ここで、文季がカエル様との関係から得た情報で推理した5がその方向で解決したことが明らかになります。そして同時に彼が幾つかの見落としをしていたことも。ロジカルに考えられる彼が見落としをしていたことで、彼が仕掛けた策略に穴があったのではと思わせ、そこにカエル様の来訪。そして明かされるもう一つの真実。それによって物語の形は更に大きくひっくり返るのですが、これがネタとして凄いと思うのです。
軸になるのは2の物語。これだけは冒頭からずっと変わっていない。そのことを隠してすらいない。だって、どう考えたって真夏がここまで文季を構うのは好きだからだって分かるわけです。神様に相撲を教えるのにかこつけて毎日彼を呼び出して、不器用にもイマイチな出来の手作りお菓子を振る舞うんですよこの子。でも語り手である文季はそれに気づかない。まさにラブコメの鈍感主人公のテンプレのように。
「あまりに自明だけれど、そういうお約束であるから伏せられていて当然」
これがまさに先入観であり、心理的なトリック。そんな見え見えに見えすぎていたから気にしていなかった要素が、ここまでの話を見事にひっくり返します。
文季の目的は真夏のために自己犠牲の上で真夏を開放するというもの。そのために自らの相撲を使ったもの。それで1の物語はゴールして、その前提のもとに3の秩序は書き換えられた、かに見えました。まあ、それで真夏がいいと思うわけがないんですよね。そしてそもそも4自体が、そんな真夏のためにカエル様たちが一肌脱いだ結果の相談=口実だったとしたら?
前提はすっこ抜けました。ずうっとカエル様に危機感が全く無かった理由が明らかになります。文季は真夏のために4を利用したつもりですが、そもそも4自体が真夏のためであり、文季の自己犠牲は真夏のためになんてなっていません。そしてカエル様は将来的には3の形は良くないなあなんて自分たちでも思っちゃってました。目的は否定されます。文季が作った盤面は、正解ではありませんでした。
ただこの物語、それでも文季がやってきたことは否定されません。真夏を開放したことも、村の秩序を作り変えたことも、それに彼が自分の相撲の意味を見出したことも決して無駄にはならない。文季の物語も村の新しいあり方も真夏の物語を軸に再編されていきます。
そして最初から最後まで一切の嘘はなかった彼女の物語が、これまでにおきた混沌と呼べるような出来事を全てここに至る必然として、『少年少女青春伝奇』は完成する。
語り手は少年であったのだけど、これはガールミーツボーイの物語なのだと思います。最初から隠せてもいなかった彼女の好意は物語に一本軸を通し続け、逃げも隠れもしないまま最後の大仕掛にまでなって、そして全てはそこに集約して物語はハッピーエンドを迎える。
結果としてみれば、この形を変え続ける不可思議な物語が成立したのはまさに、そこが最初から最後までブレていなかったからだと思うのです。読んでいる最中にはそんなこと予想もできなかったし、読み終わってしばらく考えてもどうしてこれが成り立っているのかさっぱりわからない。でも、しっかりまとまった爽やかな作品を読んだ感覚だけが残る。
なるほど、良いことも悪いこともそこに至る全部が全部を引き連れて、少女の一途な恋が成就した物語だったのだからそりゃあ爽やかな気分にもなろうものかと。私が読めていなかっただけかもしれませんが、これやっぱりどこかのほほんとした雰囲気で飄々としながら、実はすごいことをやっている小説だったんじゃないかと思います。