彼女がエスパーだったころ / 宮内悠介

 

彼女がエスパーだったころ

彼女がエスパーだったころ

 

 これは凄い小説だと思うのですが、何がどうすごいのか分からないというか、宮内作品はだいたいが私にはちょっと難しくて分からないとなるのですが、なんだか惹かれて読んでしまう不思議な感じがあります。たぶん、この作品で科学と超常現象の狭間に描かれているものは人間で、この人が捉えている人間というものが私には分からなくて、でもそれを知ることができたら何かが分かると感じられるからなんじゃないかなと。

そんな感じの連作短編は、火を使う猿、エスパー、オーギトミーに代替医療、水の浄化と胡散臭さ極まるジャンルへ取材を行う主人公の視点から、それに関わる人たちの姿が浮かび上がってくる構成。科学と超常現象。本当と嘘。理解できるものと理解できないもの。そんなに簡単な二律背反にならないのは、そこに人が関わっているから。そこで人が生きているというだけで、意味が形を変えるような感覚。ここに描かれているのは人間を切り離して成立する理屈が届かなくなる臨界点だから、科学的なものと超常的なものの狭間に、人間の人間たる人間性みたいなものがたゆたっているような、そんな印象がありました。

そしてまたそういう事を考えなかったとしても、超常的なものの出現が人間社会に連鎖的に何を起こしていったのか、それを追うルポルタージュ的な読み物としても面白いです。火を扱う猿が現れる「百匹目の火神」から、そうなるのか、ええそうなっちゃうの、でも何だか分かる気がする、みたいな。関わっている人たちは真剣で、でも与太話的な、どことなく脱力するようなくだらなさがあって、これもまた人間だなあと思います。

超常的なものの種明かしをしたりとか、謎を解くという方向には行かず、それがあることによって人はどうなるのか、人が何をするのかというのを掘り下げに行くような作品。そしてそれによって、映し出されたものが、やっぱり私にはわからないのだけど、凄いと思わせるに十分すぎるものであったのだと思います。いや、凄い小説でした。