【小説感想】ヒッキーヒッキーシェイク / 津原泰水

 

ヒッキーヒッキーシェイク (ハヤカワ文庫JA)
 

 読み終えて、生きるのって悪くないなと思える小説でした。人生って素晴らしいだとか、前向きに生きてこそだとかいうのではなく、死ぬまでは生きていくのも悪くないっていうくらいの感じ。この「悪くない」というニュアンスがこの小説のとても魅力的なところで、それが生まれるのは、これが引きこもりたちの物語だからなのだ思います。

物語はヒキコモリ支援センターの代表を名乗るカウンセラーのJJこと竺原が、彼のクライアントのひきこもりたちに不気味の谷を超えるための人間創りのプロジェクトへの参加を求めたことで動き始めます。この竺原という男、口をついて出る言葉は虚実が入り混じり、調子のいいことばかりを言ってヒッキーたちを操っていく詐欺師で、その実どこまでが意図されていて、どこからが予定の外なのかもわかりません。それでも、自分の世界に閉じていた彼ら彼女らの世界には確かに波紋が広がった。

そこから生まれるのは、最初に目指したはずのアウトプットばかりではなく、奇妙な関係の繋がりであったり、疑心暗鬼であったり、掘り返される過去であったり。ただ、それでも常に前へ前へと、竺原が起こした波は止まらずに進んでいきます。どこに行き着くかわからない、次の展開も読みようのないドライブ感。駆け抜けていくそれが、この小説の特徴であり、竺原が動き続けた結果であり、ヒッキーたちに必要なものであったのかなと。

物語が進むにつれて明らかになっていくそれぞれの事情は、軽やかに描かれますが生易しいものではありません。ひきこもりにはそうなっただけの理由があり、そうならざるを得なかった特性があり、また竺原自身にも抱えているものがある。なんというか、描かれるのはクソみたいな世界で、そこに生きてるのは碌でもない奴らなんです。それはそうなのだけど、それを深掘りしてどうこうしようという話ではない。ただ逃れられない事実としてあって、だとしても、彼らが動き、駆け抜けた終わらないお祭りみたいなものは、確かに何かを起こしたし、続いてるんだっていう、そういうお話なのだと思います。

それから、ひきこもりたちの物語であるが故に、この作品には絶望感というか、他者との断絶が根底にあるように感じます。登場人物の口から語られる他人のことなんて誰も幸せにできないという言葉。それは物語が終わっても解決なんてされていないし、解決すべきものとしても描かれない。でも、それでも、彼らは動き始めて、自分なりのやり方で誰かと関わり、そこに何かが生まれて、まだ止まってはいない。

だからこそ、何かを讃美する訳ではない、この「悪くない」という感覚が生まれてくるのだと思います。人はそうやって、生きることができる。そこが凄く好きな作品でした。