【小説感想】りゅうおうのおしごと! 11 / 白鳥士郎

 

 このシリーズが将棋に詳しくない私にも面白く読めるのは、将棋を通じて棋士たちの生き様を描いているからだと思っています。その上でこんなもの読まされたら、空銀子のファンになるしかないじゃないですか。

三段リーグで連敗を喫して追い詰められた姉弟子が、「私を殺して」と八一のもとを訪れる、衝撃的だけれど、予想された行き止まりでもあったところで終わった前巻。八一との関係が全てで、その繋がりを将棋だけに求めて、そして才能の残酷な格差に行き詰まった彼女。きっと八一が手を伸ばすだけでも良いのだろうけど、でもそれで安易に救われたら、彼女は彼女でいられなくなる訳で、どうしようも無い行き詰まりだなんてことを思っていたのです。

生まれ持った大病。病院での暮らしと、その中で知った将棋。そして迎えられた内弟子としての暮らしと、そこで出会った一人の少年。物語は銀子のルーツをさかのぼり、そして八一と銀子が育った清滝家での記憶を紐解いて、二人の関係が、どんな思いがその手を握らせて、そして離させたのかを解き明かしていきます。外からはあれだけピーキーに見えていた姉弟子が、何を背負い、何を見て、何を想い、今まで重圧の中を闘ってきたのか。

「折れない心」がテーマなのだと思います。彼女にとって、ただ生きるだけでも必要だった、そして今生きていくためにも必要なそれ。根性論や諦めない気持ちなんて、今時ではないと思います。やたらに強調されても、そうは言ってもと思うことだってある。でも、ここまで10巻貫いてきたものが、その言葉に力を与えているのだと思います。空銀子という存在が立ち上がってくるのと同時に、ずっと描かれてきたものが横串を通すような感覚。だってそれがずっと清滝一門の生き様だったじゃないかと。八一も銀子も、もちろん桂香さんも、あい達だって、清滝の子供たちは皆。

それから、追い詰められた姉弟子を見て、全てを後回しにして連れ出した八一と、そこからの展開がもう本当にね、この二人の関係はなんですかね。繋いでいた手、呼ばなくなった名前。相手に対する気持ちを、お互いの自己評価の低さと頑なさが邪魔をして、こじれて、全然似ていないようで、やっぱりよく似ていて。そんな、幼馴染とか姉弟とか家族という言葉でもくくりきれない関係が、連れて行った八一の実家での告白で全部をひっくるめて新しい段階に移っていくの、もう読んでいて拍手するしか無いでしょう。

しかもそれは、銀子にとって決してゴールじゃないのです。行き詰まりだなんて思っていたこちらの浅はかさを、この二人が生きているという重みでぺしゃんこにしていく感じ。八一が隣にいてくれることと、はるか先の背中を見ている八一を追い抜くために将棋を指すことが、当然のように両立して、空銀子というキャラクターがここに証明された感覚。これはちょっと、凄いと思いました。

そしてそこから戻ってきた三段リーグ。確かに変わった銀子の将棋が、遠く届かなかった場所にほんの少しだけ手を掛けるのは、ただただ泣けるものがありました。折れないことが強さ、諦めないことが強さ、一歩ずつ積み重ねられてきたものを背負って歩むその道。そして、かつて大きな才能を前に心が折れてしまった者として描かれる、彼女の主治医の明石先生の言葉が本当にね、泣くでしょそれは。

この対局に至ってはもう空銀子という圧倒的な生き様に言葉を失う感じだったのですが、だってそこまでにあんなもの読まされてきたのだから仕方ないじゃないですか。もう私は今日から空銀子のファンでしかないよっていう、そう思わせるだけの強さがある一冊でした。

あと、八一を前にして自分には才能が無いと言い続ける銀子ですが、特に銀子関係ではなく「才能がある子は突然強くなる」と作中で語られた言葉を、この巻の対局の後、本人でも八一でもないある人の言葉で、「急に強くなった」って拾わせるのほんともうそういうところズルいですよねこのシリーズって思います。泣くぞ。

あとあと、読み終わってから表紙イラストを見るとぐっと来るものがあるのですが、口絵イラストが何枚も写真を集めたアルバムになっているのが本当にもう、ありがとうって感じです。