【小説感想】カブールの園 / 宮内悠介

 

カブールの園 (文春文庫)

カブールの園 (文春文庫)

 

 アメリカに住む日系三世の女性が、自分のルーツをたどるように、反目していた母の元を、そして祖父母のいたマンザナー強制収容所跡を訪ねる「カブールの園」と、アメリカの地で2人取り残された日本人姉弟がどう生きたかを描く「半地下」。どちらも2つの文化を抱えて生きていくことを、とりわけ日本語と英語という2つの言葉にフォーカスを当てながら描いた短編になっています。

私は、エンタメに振っていない宮内作品はよく分からないけどなんだか凄かったのような感想を持つことが多かったのですが、これはシンプルかつストレートで非常にわかりやすく、それ故に研ぎ澄まされた感じがありました。

「カブールの園」の自分探しロードムービー的な展開、かつて遠ざけた老いた母との再開、そして自分のルーツにある日本人収容所に残された、伝承されなかった日本語による文芸との出会い。PTSD治療を受けていた彼女をゆっくりと解きほぐすように、どこか淡々と描かれていくその先で、あまりにもどうしようもないものを見つけてしまうこの感じ。突きつけられたわけじゃなく、追い詰められたわけじゃなく、まるで空気のように周りにある、アメリカで日本にルーツを持つものが生きる限り、これからもあり続けるもの。当然のように身動きを縛るそれが、ゾッとすることさえ許さない現実として浮かび上がる切れ味が凄かったです。

「半地下」もアメリカで生きる日本人の話ですが、「カブールの園」のレイが虚構のオリエンタリズムを纏って日系人として自分を演出し続けることを選んだように、アメリカで孤児となった姉弟の姉は世界最大のプロレス団体で、己の境遇すらもエンターテイメントのパーツとして生きる手段に変えていったことが印象的でした。すべて虚構だと分かって、その上に自分のあり方を作って、それでも現実はずっとその裏側にあって、時に手を伸ばしてくる。彼女がこの地でそうやって生きたこと、そういう生を選ばさせられ、演出されたことをどう捉えるかは色々あると思うのですが、個人的には、最終的に事故死さえも虚構に飲み込んでいった狂気に、どうしても惹かれるものを感じました。

これが大がかりな現実逃避なのか、それとも現実に対するカウンターなのかはわからない。現実程度、ひっくるめて虚構に取りこんでやる 。そう宣言するエディの声が聞こえてくるようだった。