デンデラ / 佐藤友哉

デンデラ

デンデラ

確かにこれは佐藤友哉の小説で、でも新しい佐藤友哉を感じさせてくれる作品でした。
『村』に住む人々は、70歳を迎えると『お山』に捨てられるという『お山参り』の風習。『村』の在り方に疑問を抱かず、『お山参り』によって『極楽浄土』に行けると信じていた斎藤カユは、しかし老婆たちに拾われ命を救われます。拾われた斎藤カユが連れてこられるのは、捨てられた老婆たちのコミュニティ『デンデラ』。そこには、貧しさと寒さの中で生きる50名の老婆たちの姿があって、みたいな感じの物語。
考えることを放棄して生きてきた斎藤カユが、自分自身の主義主張を自分自身の言葉で語るということ。捨てられた老婆たちという弱者のコミュニティである『デンデラ』と社会性の象徴である『村』と自然の絶対暴力である『羆』の対比。閉鎖社会としての『デンデラ』の中での、村の襲撃に対してのそれぞれの考えと政治的な動き。文明を築く人と純粋な野生である羆との闘い。『デンデラ』での疫病の蔓延と隠された過去、そして明らかになる真実。
まさしく帯に書かれているように、様々な要素がごった煮にされて作り上げられたカオスの物語。特に、何かを象徴するような構図が何重にも重ねられて、隠された意味を探るような読み方が様々な方向から出来るような作りは、一緒くたには出来ないはずのものを無理矢理重ね合わせて作った奇形のオブジェのようで、読んでいて気色の悪さを感じます。
ただ、それを50人の老婆の閉鎖された社会の中に、新参者それも異質な思考を持った者としてまぎれた斎藤カユの物語として描くことで、エンタメとして無理矢理に駆動させて、しかもそれが面白いというのがこの小説の不思議なところ。『羆』との戦い、『デンデラ』内での思想を賭けた争い、提示される謎といった要素は、おかしな設定に溢れた奇怪なこの物語を、これはこれで面白いものとして読ませてくれます。乱暴な言い方をすれば、登場人物が高校生くらいだったら、ライトノベルや青春小説にもなりそうな感じ。そうすると当然前提として持たされた意味が変わってくるので、これはあくまでも老婆の物語ではあるのですが。
こういった部分は確かに佐藤友哉でしかあり得ないような感覚で描かれていて、それでいて今までの佐藤友哉作品にあったような、触れれば壊れてしまいそうな繊細さとか、単純化する余りの身も蓋もない感じというものが薄れていて、奇形なんだけれどそのままの形で固まったような、そんなある種の強さを感じさせてくれる作品でした。
そしてやっぱりこの人作品の軸には、社会的弱者がどうやって生きるのかというテーマがあって、そして今回それはデンデラで如何に生きるのか、如何に死ぬのか、というところに現れていたように感じます。そもそもが『村』から捨てられた老婆たちの集まりで、冬の厳しい寒さとロクな道具もない貧しい生活、疫病の流行、食料の枯渇、そして羆の襲来と、日増しに凄惨さを増していく『デンデラ』。あらかじめ終わったところから始まって、外部からは切り離されて、意味を失った空っぽな壊れゆくその世界の中で、老婆たちが怒り、嘆き、怯えながら、何を考え何を為していくのか。どうやって生きるのか。どうやって死ぬのか。そこが、この小説で最も強く印象に残ったところになりました。
そんな感じで、何だか凄かった一冊でした。これからのユヤタンに、期待が高まります。