紫色のクオリア / うえお久光

紫色のクオリア (電撃文庫)

紫色のクオリア (電撃文庫)

『人間』が『ロボット』に見える少女毬井ゆかりと、その友人であるマナブの物語。
2話の短編+αの構成となっている作品で、1話目に当たる「毬井についてのエトセトラ」は友人であるマナブの視点から、人間がロボットに見えるという少女ゆかりについての話を重ねていく感じ。エキセントリックなゆかりとマナブの関係は微笑ましいのですが、後半まで行って、これはただそんな単純な話じゃないのだと痛感。
昔からの友人だったはずで、今はゆかりに憎しみすら向ける七美が語った、ゆかりについてのこと。事象が『認識』することで規定されるのならば、『人間』が『ロボット』に見えるというゆかりの世界は、普通の人たちの認識する世界とは別の何かであるはずで、だからそこに存在している何かも、その理も全く別のものになる。その圧倒的な違いはただ見え方の問題だと処理するには余りにも大きくて。
そしてそこから始まる第2話「1/1,000,000,000のキス」が凄いです。ゆかりとマナブの物語は、ある一つの運命を変えるための『あたし』の物語となり、瞬間でどこまでも広がり、時間と空間と存在を超越して、そしてある一点に向かって急激に収束する。この爆発的なイマジネーションの広がりに押し流される感覚は読んでいてとても気持ちの良いものでした。



ここから若干ネタばれ気味。



内容的には、あらゆる可能性≒並行世界を同時に認識し、選択された可能性を事象として規定できるという特異な能力で、一つの運命を打破するためにもがく『あたしたち』の話。認識によって世界を固定する、そこには過去、未来も関係なく、ただ観測点としての『あたし』があって、それを完全なものとするために、マナブであった『あたし』はただの『あたし』として私たちを縛る『箱』の外に飛び出そうとする。それは時間・空間を超えた高次の存在として、私たちの世界を『観測』するということ、みたいな感じ。
そしてそうやって人の枠を超え、抽象的で観念的な方向に広がる物語を収束させた、ただそこにある真実は、これが最初から最後までゆかりとマナブの物語であるのだと感じさせてくれるもの。紫色のクオリア。光のように最短距離を目指して、そしてついにたどり着いた最適解。
この方向に進みながら、他者の存在と意志を謳い上げるこの前向きさは、読んでいてちょっと腑に落ちないところもあるのですが、これはこれで眩しいくらいに正しいような気も。なんというか、ここまでやっておいて、一人で問題を抱え込んで悩んで深みにハマった少女と、そこに手を差し伸べる親友というどこまでもシンプルで真っ直ぐな物語に読めるのが凄いし、素晴らしいと思います。とはいえ、「IF」をどう解釈するかで問題は変わってくるような気もするのですが。
そんな訳で、とても面白く興味深かった一冊でした。いい加減パターン化してきている中でも、こういう作品が突然出てくるのだから、ライトノベル読みはやめられないのだと思うのです。