- 作者: 大泉貴,しばの番茶
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2010/09/10
- メディア: 文庫
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この作品で何より面白いと思ったのはコトモノの設定。遺言詞という『言葉』によって、認識の形が変わって自分たちだけの『物語』を生きるようになったコトモノたち。その『物語』がもたらすものを異能として描くことで、この作品はいわゆる異能バトルものな物語となっているのですが、『言葉』が認識を変えるという構図は私たちの世界の中でも当たり前に存在することなのだと思います。
『言葉』によって私たちは『世界』を認識して、そこに生まれる『物語』を生きている。『言葉』は受け継がれ、あるいは何かを媒介にして広がって、いろいろな人が『認識』を『物語』共有する。そういうことは、もちろん異能としては現れませんが、世の中にありふれたことで、それ故に人は何かを生み出したり、あるいは人同士が争い合ったりしてきたのだと思います。ある人が生きる世界の形は認識に依存して、その認識が言葉によるものであるなら、そこに絶対の正しさはない訳で、ただ『言葉』と『認識』とそれがもたらす『物語』だけがそこにあるような世界。そういう言語が全ての始まりに来るような世界観をベースにして、それを王道の異能バトルものとしてエンターテイメント作品に仕立てているのが面白いなと思いました。
そういう意味では、コトモノを認識するコトモノ、メタコトであるロゴが主人公なのは凄く正しいことなのかなと思います。それぞれの完結した『物語』を客観の視点から眺めることができるロゴと彼のコトモノであるダリだから、認識が世界を形作っている人たちの在り方を、そしてその『物語』に意味を見つけることができたのかなと思うのです。この世界観で、この世界観そのものを語るために、ロゴや他のメインのキャラクターたちはメタコトであるのだろうなと。
物語としては、かつて親しかった、自分にとって大きな意味を持っていた少女との望まぬ形での再会から、少年が多くのことを知り、己の未熟さを知り、壁にあたりながら自分の答えにむけて成長していくというまさに王道な展開。この設定の上で、自分の『物語』と向き合い、他人の『物語』に向きあうその姿に、自分たちだけの『物語』に溺れずにもっと外へ、新しい『物語』へと広がっていこうというメッセージがあるのかなと思ったり。
ただ、エンタメ作品として見るとちょっと華が足りないような気もしました。キャラクターも展開も設定も凄くしっかりしていて、落ち着いている感じではあるのですが、何かちょっと飛び抜けた魅力、例えばキャラクターのキャッチーさとか、ストーリー上のカタルシスがあると、もっと面白い作品になったんじゃないかなと思うのです。凄く上手く組み立てられていて、色々と興味深かったけれど、どこか淡々と終わってしまった感覚もあって、そこがあと少し残念でもあった一冊でした。