ニーナとうさぎと魔法の戦車 2 / 兎月竜之介

ニーナとうさぎと魔法の戦車〈2〉 (集英社スーパーダッシュ文庫)

ニーナとうさぎと魔法の戦車〈2〉 (集英社スーパーダッシュ文庫)

不安定な社会の中、過酷な境遇を背負った二人の少女の生き様が交錯するような一冊。
家族を探す旅に出たニーナ、かつての荒れ具合から見違えるようになったエンデ市で彼女が出会ったのは、そのエンデ市をここまで立て直した張本人、市長にしてゴシック&ロリータに身を包んだ銀髪の眼帯少女テオドーレ。普段の天然アイドル的な立ち振る舞いから雰囲気の一転する為政者としての顔、そして一人の少女としての顔。市民たちから女神とまで慕われる彼女は本当に魅力的です。
エンデ市が移民を受け入れるために作られた開拓村、そこで再開を果たしたニーナとその両親、妹。そしてニーナにとって因縁深い野盗に襲われる開拓村。自分を売った両親との折り合いのつけ方も、野盗に立ち向かうべきだと語る姿も、力は足りなくてもラビッツの仲間と出会うことでで得た真っ直ぐさが見えて、彼女がラビッツでの経験を経て成長しているんだなと感じるもの。そして、ニーナの力では及ばなかった部分を完璧にサポートしたテオドーレの言葉、自信、そしてそれを現実へと変えてしまえる実力。それから、そんな二人の紡ぐ友情も綺麗なものでした。
ただ、読んでいてどうにも上手く行き過ぎるというか、綺麗事がそのままに成立してしまっている感じがしたのです。開拓村の現状も、ニーナの両親との話も、テオドーレの過去も、決して軽いものではありませんが、この作品はもっとシビアで、これほど何もかもうまく行くわけがないという感覚。そして、それが思いすごしではないと分かる後半から終盤の展開こそ、この作品の魅力だと思いました。

という訳で、ここからネタバレあり。


目標のために、つまり市民のために、必要な犠牲ならそれが人命であっても辞さないというテオドーレの姿勢は為政者として正しいと思います。犠牲の上にしか成り立たない物はたしかにあって、それを自らが為す覚悟があるからこそ市のトップに立てるわけで。ただ、あれだけの力とカリスマ性をもってなお、彼女はあまりにも弱かったのだと思います。
オリハルコンといあまりに強力な力に縋ったこと。それにとらわれて、超えてはいけない一線を超えたこと。いつもいつも、最後までずっと隣にいてくれたレオナルトという青年と共に死ぬ最後しか選べなかったこと。彼女をそうさせた、レーベンマイヤー家という一族にあって虐げられた孤独な少女としての側面。自らを認めさせたい、見返したいという想いは、市民のためという想いを少しだけ濁らせたのだと思います。たぶん、エンデの女神とまで謳われるようになった彼女はそんなことを気にするべきじゃなかったし、そんなものに縋らなくても時間をかけて社会を変えていくだけの力があった。それでも、彼女の弱い部分は、そういう道を歩ませなかった。
同じように家族との問題を抱えたニーナが、仲間との日々で自ら得た前向きさと真っ直ぐさでひとつ壁を乗り越えたこと。それと対比したときのテオドーレの姿は本当にやるせないもので、なにか少し違ったら、また別の未来が待っていたんじゃないかとも思います。でも、これはこういう物語で、立場は違えどよく似た場所から始まった二人の少女の物語は、限り無く近づいて、でも決して交わりはしなかったということなのだと思います。
個人的には、ラビッツの掲げる理想は、道徳的に100点であっても、力を持ってそれを押し付ける時点でとても傲慢なものと感じます。それは実現させてしまうにはあまりに正しすぎるし、その理想は厳しい社会の中でそれが叶ってしまわないからこそ輝くものだと思うのです。だから、私としては今回のようにラビッツのやり方がそのまま実現してしまう世界をこの作品が描くのであれば、ちょっとそれは違うんじゃないかと。例えば、今回の事件でテオドーレのもとにひとつになっていたエンデの市民がどうなるか、そういう部分はラビッツが向き合っていかなければならないことではないのかなと。そういう意味では、ラビッツの在り方とテオドーレの在り方、同じ場所に向かい違うやり方を取るようなそれを見てきたニーナが、今後何を考えて何をしていくのか、それが楽しみでもあります。
そんな部分もありつつ、個人的には、その強さもその弱さも全部含めて、テオドーレ・レーベンマイヤーというキャラクターは本当に魅力的だったと感じる一冊でした。こういうキャラは、本当にめちゃくちゃ好きです。続編に登場することはなくなってしまいましたが、短編や別のお話としてまた彼女のことが語られるとうれしいなと思います。