のばらセックス / 日日日

のばらセックス (講談社BOX)

のばらセックス (講談社BOX)

こんにちは、あたしの人生。
今から会いに行くよ。

女性がいなくなって生まれた世界で一番目の女性のばら様。その娘で世界で二番目の女性であるおちば様が、歪みに歪みきった世界の中で、頑張って、闘って、幸せになる物語。
世界でたった二人の女性として生きること。女性であることを隠して、隠されて、それでも逃れきれなくて。子供だったおちばが向きあうことになる現実は、どこまでも歪んでいるもので、それに翻弄されて、蹂躙されて、絶望をつきつけられて。世界でたった二人しか女性がいないという設定自体がかなりぶっ飛んだものなのですが、その中で世界でふたりだけの女性という政治のカード、種の存続、さらに女性を増やすためと狙われるおちばの人生は悲惨なものになります。捕らわれて、犯されて、道具のように。望んだわけでもなく、そのように生まれたがために、ただただ振りかかる苦難。ひたすらに続く不条理と暴力。そしてまた自分自身も女性であることからは逃れられずに。その中で浮かび上がる、母との関係、父との関係。恋人との関係。つながりを求める心。
叩かれても、折られそうになっても、ただ自分の求めるもののために生きようと。つらい現実を自分から暴いて、向き合って、踏み越えて、がんばって、がんばって。たくさん失って、血を流して、それでも前を向いて生きていく、そんな切実さに満ちた作品でした。
ただ、この作品の特徴は、そんな切実さを描くための手立てが、とてもオタク的な、ある種ジャンクなものであることのように感じます。世界や細かい設定の見える範囲以外へのルーズさと、見える範囲の破茶滅茶な自由さ。キャラクターの描き方。そして性的なものの描き方。女装した男の子たちが溢れ、倒錯したマニアックなシチュエーションが続く描写は、生っぽいというよりはマンガ的なイメージがあります。そしてそれは、ある意味ではチープなものであるかも知れなくて。
でも、この作品は確かに切実で、惹かれるものが強くあります。そこには混沌とした物語を最後にはまとめている巧さみたいなものもあるのですが、どちらかというと、そういうやり方で描かれた切実さだから、届くものがあるんじゃないのかなとも思うのです。何かを想像するときに、生々しさよりも、二次元に映るものが切実である人たちのための、生きること、闘うことの物語。これは、そういう作品なんじゃないかなと思いました。良かったです。