傷痕 / 桜庭一樹

傷痕

傷痕

「いつの世も、スーパースターってのはみんなの心の鏡なのよ」

突然この世を去った世紀のスーパースター、キング・オブ・ポップ。あまりにも大きく、あまりにも図抜けていたその存在を中心に、彼と関わった人々の姿と、彼のいなくなった世界と向き合うことを描いていくような小説になっていました。
一章ごとに語り部を変えながら、その語り部との関わりから描き出されるキング・オブ・ポップの姿。語り部は、彼の残された娘、彼のファミリー、その運転手、彼のファン、一般大衆、彼を有罪と信じて追い続けるジャーナリスト、彼をかつて訴えた復讐者。彼ら、彼女らの口から語られる彼の姿は、決して彼そのものには触れられないようように何層にもコーティングされているように感じます。
一番彼自身に近いのは、島でファミリーと暮らしていた幼少期。いたずら好きの無邪気な少年。そして年月を経た後も永遠の少年。その彼が「楽園」で見せた孤独。ファミリーとの関係。二番目はキング・オブ・ポップ、スーパースターの彼。煌びやかなステージで、誰もを楽しませるために歌い踊る。誰もが耳にしたことのあるメロディを生み出し、眩く輝いて。そして同時に、奇人として数多のスキャンダルに覆われて。そして三番目にあるのは、そんなあまりにも大きかった彼という存在に投影された、それぞれの物語だったのかなと。
様々な立場の人々が、自分自身の内面を投影するように、彼に何かを見たことが、それぞれの語りからは伝わってきます。憎むのも、憧れるのも、愛情も、全て。そして、それはもっと大きなレベルで、時代というものが産み出したスーパースターの物語にもなって。あまりにも大きくて、眩くて、誰しもの意識の中心にいるから、彼そのものとはどこまでも乖離していったとしても、誰にとってもそこに自分自身の物語を描けるような存在足り得た、キング・オブ・ポップ
この小説で、マイケル・ジャクソンその人をモデルにして描かれているものは、スキャンダラスなその生涯でもそこへの興味でもなんでもなくて、あの時代に生まれたスーパースターというもの、その在り方だったのかなと思います。けれど、その存在はあまりに唐突に失われて。
時代は変わって、二度と誰しもの中心になるようなスーパースターは生まれないだろうと、作中でも語られます。そんな時代の中を生きていくということを問うために、彼の一番近くにいた、傷痕という少女の喪失と再生の物語は描かれているのだと感じました。残された傷痕が、選んだ道。仮面を置いて、自分の手で、自分だけの新しい地図を作ること。それは拍子抜けするくらいありきたりの結論で、でも、キング・オブ・ポップを失ったこの世界では、それだけしかないのかもしれないと、そんなふうに思うのでした。