楽聖少女 / 杉井光

楽聖少女 (電撃文庫)

楽聖少女 (電撃文庫)

高校二年の夏休みに悪魔メフィストフェレスによって連れ去られ、19世紀ヨーロッパでゲーテとして生まれ変わった少年ユキ。その歴史とは似ているようで少し違う世界で、彼が出会ったのはベートーヴェンという少女で。
杉井光新作は過去の世界に過去の偉人として呼び出されるというちょっと変わった異世界ファンタジー。ゲーテにベートヴェンにモーツァルトハイドンにシラーをそんなキャラクターとして描いちゃって大丈夫なのかというのはとりあえず置いておいて、メフィストフェレスとの契約により心をなるべく動かさないように生きていたユキと楽聖ベートヴェンが出会うことで物語は動き始めます。
見た目は少女で音楽以外まるでダメで性格は強烈な彼女の世話をいつの間にか焼くようになっている主人公の立ち位置も、鈍感であることを自分に強いている主人公も、音楽に対する憧憬にも似た何かも、どこまでも過剰にセンチメンタルな文章も、ギリギリな線をつくようなネタも、いつもの杉井光と言えばいつもの杉井光でそんなに目新しいものはないのですが、だからこそ杉井光作品が好きならば楽しめるような一冊。特にほのめかされる「さよならピアノソナタ」とのリンクには、思わずファンはにやりとするものが。
物語の中では、『ボナパルト』という曲を発表するためにベートーヴェンが啖呵を切るシーンが印象的でした。音楽家、芸術家としての矜持。たとえ道理がなんであっても、政治がなんであっても、それによって国が滅びようと自らが殺されようと、自らの音楽にどこまでも真摯に、それを持って聴く人の心と対峙する。彼女たち音楽家だけが持てる作り手と聞き手の闘いへの気概は、ひたすらにエゴに満ちた傲慢で、けれど、だからこその芸術家なのだろうと思ったり。そしてそれがまた、現実の歴史と少しずつズレたものとして描かれていくのが、物語としては面白いなと思いました。ただ、音楽ものかと思っていたら異能バトル要素が投げ込まれた終盤の展開は、思わぬ主人公の活躍も呼び込んでいて面白いのですが、ちょっと期待していたものからズレていった感じがしたりも。