雛鳥トートロジィ / 柴村仁

地域密着型のフリーペーパーの仕事をしている青年上野鷲介。そこに突然明らかになった父親の隠し子の存在。そして仕事帰りに彼の部屋の前で待っていたのは、その異母妹の大塚鴇子で、という導入から始まるお話。
そんな導入だからこれは異母兄妹の擬似家族的な絆の話になるのかなと思えば、実際は遠からず近からずのような感じ。読み終えてみればこれは、分かり合うとか、心を許しあうとか、相互理解に基づくハッピーエンドには向かわない、割と徹底したディスコミュニケーションの物語だったのかなあと思います。
鷲介と鴇子のそれぞれの視点から描かれる二人の出会いは、けれど同じ物を見ているようで見えていることが全然違っていて。誤解、思い込み、小さな嘘。そんなものが積み重なって、お互い都合よく理解した現実はちょっとずつズレていて。それは鷲介から見える鴇子の可哀想な少女の姿であったり、鴇子から見える鷲介の理想の兄のイメージであったり、それ以上にそもそもお互いが考えている鴇子の生まれにまつわることであったり。
それはまた、鷲介と両親や鴇子と叔母、小塚さんの間も一緒で、分かり合えそうで結局全然わかりあえていない、そしてひどいことは当たり前のようにひどいこととして起こる。そんな身も蓋もないような現実が描かれている物語ではあります。
ただ、分かり合えないにしてもちょっとこじれた糸が紐解けてみたりとか、そういうことが全くないわけではなく。そしてそれ以上に、勝手な思い込みで勝手に傷ついたりもしていながら、やっぱり鷲介と鴇子はお互いの存在を通じて変わっていっているというのがなんだかいいなと思います。赤貧で余裕のない生活をして視野が狭くなっていた自分だとか、辛い境遇に生まれて育ったことによる自虐的な考えとか、そういうものは確かにちょっとだけ前向きな方向に解けつつあって、笑えないようなことばかり起きても決して後味は悪なく。
ひたすらに身も蓋もないようでいて、どうしようもない毎日だけれどもそんなに悪くもないんじゃないかなと、そんなふうにも思わせてくれる柔らかさもある一冊でした。こういうのは、割と好き。