屍者の帝国 / 伊藤計劃×円城塔

屍者の帝国

屍者の帝国

伊藤計劃が遺したプロローグを円城塔が引き継いで書き上げた、人間と意識、魂そして言語を廻る物語。
とにもかくにも、早逝の天才が遺した絶筆を盟友である作家が引き継いで書くというそれ自体ができすぎたくらいの物語であって、この本がこうして完成し出版されていること自体に感慨深いものがあるとは思いました。
そして中身の方は、死人にネクロウェアを使って屍者としてよみがえらせることができる19世紀末の世界、ヴァン・ヘルシングフランケンシュタイン、コードネーム『M』に語り部はワトソン君というとんでもないオールスターキャストなプロローグを、しっかり確実に引き継いで、意識と魂の物語として完成させたという感じ。伊藤計劃っぽい雰囲気で最初から最後まで書かれているのですが、それでもこれは円城塔の小説だったなあという印象がありました。
他の作品に比べれば難解さは控えめでエンターテイメントしているとはいえ、やっぱり頭が良すぎるというか抽象的な論理の積み上げ方や説明の仕方は円城塔っぽくて、私では色々理解が追いつかないところもあったり。それでも、わからないなりに感じるその組立というか、構造の綺麗さみたいなものが魅力である辺りも、これは円城塔作品なんだなと思いました。中身は理解しきれなかったけど、すごく精緻で美しいものを読んだ……ような気がする、みたいな。
それを伊藤計劃が書いたらどうだったのだろうと思うのはマナー違反なような気はするのですが、でもやっぱり違う作品になっていたと思いますし、あの小さなものの積み重ねで広がっていく世界とか、静かでけれどどうしようもないほどの切実さとか、そういうものを求めて読んでいる以上、ちょっと物足りないというか、欲しかったものと違ったかなと思う一冊ではありました。
あと、エンタメ的にはあまりにも主人公が状況に流されすぎで主体性が無いという気も。そこはワトソンなので仕方が無いといってしまえばそれまでではありますし、これがどのように書かれた物語であるかを考えると、わざと見えないようにしているところなのかもしれませんが。
お話としては、どこまで理解できているのかは大変怪しいのですが、最終的に意識と言葉の問題になっていった感じ。ただそこにあるものに、意識を見出すものとしての言葉、その言葉であらゆるものに物語を見出す人間。であれば、そこに全く別の言葉があるとして。この物語の続きはこの言葉によって書かれ得ないが故にこの本の外側へ、それはつまり私たちの意識の外側へという、今ここにある私の意識に波紋を広げるような読後の感覚が不思議で、面白かったです。