BEATLESS / 長谷敏司

BEATLESS

BEATLESS

今この時代から人とモノの関係を描いた渾身の一冊にして、アンドロイドの少女と普通の少年の出会いが世界を変えるボーイ・ミーツ・ガール。もうとにかく、凄いとしか。
100年後の未来。hiEと呼ばれる人間の姿形をした道具が一般的になった時代。クラウドサーバでの管理通常のhiEと違い、AIを搭載してさらに破格の能力を持つレイシア級hiEが研究施設の事故に伴い脱走。近隣に住む少年アラトがその内の1機に襲われた時に彼をオーナーに選び救ったレイシア級hiEレイシア。アラトはこころがないと知りながら美しい彼女に惹かれていきという、エンタメとしてはもう実に王道なストーリーを歩み始める物語なのですが、圧倒的な分量で描かれるこの世界の人とモノを廻る物語の濃さには、読んでいて本当にくらくらするものがありました。
これは、人類未到産物であるレイシア級hiEや人間を超える高度AI、そういうモノが存在する時代、世界を舞台にしたある種壮大な思考実験な小説なのだと思います。人のかたちをしたこころのないものがいるということ。それが社会に関わった時に、人はどうなっていくのか。モノにとっては生命線でもある経済はどうなっていくのか。人とモノの間に生まれるものはあるのか、人とモノはどういう関係であってどういう関係になっていくのか、それは明るい未来なのか、ディストピアなのか。人から見たモノという視点ではなく、モノから見た人とはどんなものなのか。そもそも人にはどんな特別な価値があるのか。
そのテーマは多岐に渡って、けれどどれも蔑ろにしようという気配は一切無くて、しかも何が正しかったかをこの作品は明言しません。だから、この作品の中で登場人物たち、そしてモノたちはそれを問い続けるとともに、読んでいる方もひたすらに問われ続けます。その重層的で幅の広いテーマ自体の面白さももちろん、じゃあこれはどうなんだろうと思った次の展開でそのテーマが語られる、作者の頭の良さみたいなものに読んでいてわくわくするものがありました。ただ、そのせいか色々省略される動機や説明も多くて、あまり理解しきれていないというか、追いつけなかった部分があるような気も。
とはいえ、ある程度hiEが溶け込んだ100年後から、レイシア級という存在が現れたことによる次の時代、人類にとっての一つの時代の終わりへ。その過渡期に、沢山の人たちが沢山の価値観をもって織り成した、ひとつの過程を物語としても楽しめるというのは本当に贅沢なことだなと思いました。そしてそんなに難しいことを考えなくても、ただ戦闘美少女アンドロイドと少年が出会い未来を目指して闘うエンターテイメントとしても楽しめて、早くアニメ化しないかなと期待したくもなるような、色々な楽しみ方のできる素晴らしい作品だったと思います。そしてエンタメ的にはレイシア級なら紅霞、人間ならエリカが好きないつもの私の趣味だったり。面白かったです!


以下、徒然に思ったことを書き連ねた雑文となります。

色々な概念が登場した作品ですが、中でもアナログハックという概念とハローキティのカップの話が面白かったです。
作中でポルノグラフィの消費と言われるような、こころのないモノに対する人の態度。ひたすらに認めてほしいものを与えてくれるという都合の良さ、しかもそれが少年にとって美しい少女の姿で現れるなら尚更。その気持ち悪さは感覚としてあったのですが、逆にそうやってかたちに惑わされる人の心を「アナログハック」というモノによる人の心のハッキング、誘導として捉える概念が序盤で提示されて、なるほどそういう考えもあるのかと思いました。そしてそれがあるゆえにこれは人からモノへの一方的な話ではないのだなと。
そしてそれを考えた時にこれはきっと「キャラクター」の話をしたいのだなと思っていたら、まさにそういう話が出てきて「ハローキティのマグカップ」でだよね! と。かたちにこだわること、かたちさえ合えば愛することができること、それはやっぱり今現在のキャラクターを好きになることの延長線上で。たぶん、イラストでもフィギュアでもなんでも、それがあるキャラクターだからこそ愛せる、こころではなくかたちを愛せるというのはそういうことで、そこにこころを見て動かされる私たちは今だってアナログハックされているのに違いないなと。
ただ、そういう意味では生身の人であってもひとつの形を売りにして人を扇動できるアイドル的な性格はアナログハックの一種だし、身なりや態度を整えて立場や態度を使い分けていることですらアナログハックといえるかも知れません。であれば、問題は手法ではなくそれをやっているのが人であるか、つまりこころがあるかになる訳ですが、じゃあ心って何という問題はやっぱり難しくて。
hiEがクラウドベースで集積されたそれらしい態度を取り続けるのであれば、それは人間の平均値によってかたちだけ取り繕ったもので、目的を与えてるのは人間が別に行なっているのだから、こころはない道具である。ただ、そこにAIが入ってくるとどうなるのか。自律判断で目的に対して何をなすべきかを決められて行動できる、コミュニケーションだって成立する。そうは言っても、それが例えば紅霞のように何か人間を自動化するためにある道具とは言えて。ただ、超高度AIが自らの欲求、たとえそれが人間に最初に与えられたものでも、のために目的を定め判断して行動するのであれば、それはもう人間とどこが違うのかという思いもあって。
感情や愛や信頼が人間のこころだと言っても、それが個人では判断しきれないロジックに法った目的のための手段でしかないかもしれない訳で。レイシアが信じて信じられるという選択を取ることができるならそれは尚更で。
人間はこころがあるから特別、それはすごく素朴な価値観ではあるのですが、この作品の言うクラウドのドーナツに何があるのかと言われると、案外何もないのではないかとも思うのです。こころがないと言い続けたレイシアに対して、手を伸ばし続けるという形で未来に届かせたアラトにだってこころがあるかは分からない。レイシアが別のかたちをとれるのはAIであるからであって、単純に人が自分の体と意識を切り離せるようになれば、周りから見れば単純にかたちだけで手を伸ばされるべき存在なのかも知れない。それはまたコピーやクローンの話にも通じて。
なにもないからそこに手を伸ばすのであれば、それは人でもモノでも結局は一緒。レイシアやヒギンズのような存在と、クラウドサーバを落とすだけで活動が止まるhiEが併存するこの世界は、人間の価値を問うぎりぎりの世界でもあるのだなと思います。それでも人間の特別さを叫ぶ人たちに、そんな世界なんだと突きつけて悦に入る旧世代としてのエリカの在り方が、たとえそれが前に進むためのものでは全くないとしてもやっぱり読んでいて好きだなと思いました。
この時代に起きたことは、アラトがいてリョウがいて、最後まで人間を中心に回ったように思えます。ただ、この100年先の物語に人間の立ち位置が本当にあるのかなと、そんなことをちょっと思ったりもするのです。そして個人的には、人間が全てを自動化した結果、そこにいるのがそれぞれに超高度AIを持ったhiEたちだけであったとしても、それは決してディストピアではないし、信じられる相手として人がいたとしてもそれもまた未来の形かとは思います。そうなった時に、ボーイミーツガールの意味が変わって人と人との間の関係が薄れて、hiEが信頼すべき相手である人を保持するために、人を生産する逆転の世界が広がっていたとしても。