風立ちぬ

関東大震災から太平洋戦争、日本が富国強兵を推し進めて、そして戦争に敗れた時代。
そんな時代に生きて、零戦の設計者となった堀越二郎を主人公にしながら、色々なものを混ぜ込んで創られた、飛行機という夢に魅入られて、取り憑かれた人間の物語でした。
激動の時代にもかかわらず、徹頭徹尾抑えたトーンで描かれる物語は、本当に綺麗で、美しいものだったと思います。夢の中でカプローニに導かれ、飛行機への思いを胸に、ただただ美しい飛行機を作ろうとした二郎の十年間。運命的な菜穂子との再会と、病気を患った彼女と夫婦として過ごした僅かな時間。後半は特に、見ていて涙が出てくるような、ただ今を精一杯に潔く生きる人々の姿が胸を打つものがありました。
ただ、この映画、単純に綺麗なものとは言えないというか、綺麗だけど、全然そうじゃないというところこそが真骨頂だと思う訳で。
映画が終わった時に、夢を夢として最後まで見続けられる人間が、この世界にどれだけいるのだろうと、そんなことを思いました。夢を追い続けることで踏みにじるもの、失うもの、そして夢を追いかけせてもらえないような、自分のそして周りの事情に、身を賭して追い続けることで磨り減っていく自分自身。そういうものから、この二郎という主人公はどこまでも無縁で。才能に恵まれ、お金に困ることもなく、菜穂子、黒川、本庄と人にも恵まれ、決して汚されない、影すら踏ませない、ただ飛行機のことだけを追いかけ続けた人間。だからこそこの人生は美しく見えて、でもそんな人生が真っ当なもののはずなんて無くて。
この作品は、彼が夢を追いかけたことで踏みにじったもののことを隠すつもりは全然無いように思えます。恵まれない子どもたちにシベリアを渡そうとしたシーン、本庄に諭された矛盾。その矛盾が合理的に解決されることは最後までなくて、優しいように見える二郎は、けれど何事もなかったかのように飛行機を創り続けます。倒れた菜穂子のもとに急ぐ二郎が、汽車の中で図面を引き続けるシーンの、ギリギリの業と呼ぶべき何か。そして、最終的に招かれた事態も、飛行機は戦争の道具になるということも、やっぱりこの映画は隠そうともしないし、むしろ強調しています。
何か判断をするわけではなく、ただ、あることをあるように。だからそれをひとつのものさしで正しい/間違っていると判断することはきっと誰にもできなくて、だから気持ち悪さすら感じるような矛盾だらけの状態でこの物語は最後まで描かれて。
そこで貫かれたのは、飛行機というものに取り憑かれて偏執的に愛した一人の人間の夢であって、それはむき出しになった創りだす者のエゴでもあって、それはまた宮崎駿という天才が見ている景色を想像させられるようなものでもあって。それなのに、この夢を夢として最後まで見続けられる人の物語はこの上なく美しいものとして描かれていて、実際にこの映画を見て最初に浮かんでくきた感想は心からの「美しい」以外の何物でもなかった訳で。
その歪なバランスというかたまらない気色悪さというか、映画を見終わってからしばらく残っていたモヤモヤした感覚がそこからくるものだと腑に落ちた時に、この映画は本当に頭のおかしい、狂気の作品でもあるのだなと感じられて、薄ら寒さにゾクッとすると共に、羨望と諦めと喝采の入り混じったような「好き」の気持ちが強くなりました。
なんだか、私にとってこれは、宮崎駿作品の中でも一番好きな映画になるんじゃないかなあ、と