ビスケット・フランケンシュタイン / 日日日

ビスケット・フランケンシュタイン〈完全版〉 (講談社BOX)

ビスケット・フランケンシュタイン〈完全版〉 (講談社BOX)

ささみさん@がんばらないを読んで、平安残酷物語を読んで、日日日のこういう空気というか、もうダメな世界で生きる人たちのお話というか、なんだかそういうものがすごく好みだなあと思っていたのですが、完全版が出てようやく読むことができたこれは、まさしくそういうお話で、なんというか、本当に、好きだなあとしか言えない一冊でした。これ、すごく好き。
人類を襲ったのは少女だけが罹患する、肉体が腐敗して別の物質へと置き換わる、死に至る病。そうして、はじめは少しずつ、やがて加速度をつけて人類が終わりに向かう時代を、その病によって置き換えられた肉体を継ぎ接ぎして創られた、たった一人でひとつの種たる、美しき異形の少女が生き抜いた、これはそういうお話。
今の話で過去の短編を挟むような構成で語られる、彼女という人格が生まれてからの話。一人にして群体で、人にあらずとも人の愛を求めて、孤独に苛まれて、病に冒された少女を探して、全ては彼女自身の目的のために。現実離れした病を通じて描かれる、弱い、弱い人の姿。
その中でも、最初に描かれる蝶の話がすごく、印象的でした。異端であるから排斥され、それだからこそ異形の彼女に愛を向けた彼女の「お母さん」。その不可思議な母娘の関係は、人の形質的な有り様を超え他何かで、だからこそ素直なものに思えて、そしてそれが最後まで読むと、ビスケという異形の少女にとってどれだけの特別であったのか。
それから、終末に向かう世界のなかで、完全なる虚構の世界にその身を映した雷多の話。泥雪姫と呼ばれる存在とビスケの対話の中で取り上げられるのは、意識とは何かということ。そして、この完全なる虚構に泥雪姫のあり方にビスケは何も言えない。けれど、それはあまりにあっけなく崩れ去り、だけどそれが悪いことだったかどうかなんて分からない。
ここにあるのは、何かを肯定することも、何かを否定することもしない、ただ彼女がここでこう生きたということだけ。そこで語れられる遺伝子というキーワードからの、この世界の終末の意味。その生物学的な知識はリアルに語られるのに、ここで描かれる世界はどこまでもファンタジーで幻想的に地に足がついていないように感じます。
けれど、むしろ地に足なんてつけられない、この道具立てで、この空気で、この終わってしまう人類の時間に、生きることを、意識というものを、人間ではないものの視点から問う。だからこそ、私にとってこれは入り込める、凄くよく分かる、そんな作品になっているのかもしれないと思います。
彼女が描いた遺伝子の物語。彼女自身の物語と目的。人の常識を超えたそれが、たとえ遺伝子の乗り物としての働きにすぎないのだとしても。何もかもがおかしなところから生まれた彼女だからこそ、それを間違っているなんて言えなくて。
その目的と行動の最後に、不確かで残酷でどうにもならない世界の中でも、ずっと消えずに漂い続けるような、意味を欲しがり、孤独を恐れ、愛を求める、そんな人の在り方への保証のない信頼が見えるから。
帯に書かれている通り、これは人間賛歌の物語であるのだと思うのです。