ラブライブ! 12話 穂乃果の失敗とμ’sの課題について

ラブライブの12話についてとりあえず頭の整理をしてみたのでつらつらと。

ラブライブの11話から12話は高坂穂乃果の失敗のお話であり、ストーリー構成的には挫折からの克服による成長とカタルシス的なものを見せるための溜めの展開だとは思うのですが、その過程で穂乃果の悪い面というのがほぼオブラート無しで出てくるので賛否両論激しくなったのかと。
そもそもキャラクターのいいところしか見せないアイドルとしての描き方というのも選択肢としてはあった訳で、それをやっていたのが今までのCDなどでの展開と思うのですが、アニメ版はレイヤを変えてもっと踏み込んだ普通の少女たちの青春と成長の物語となった時に、当たり前に失敗して挫けるという描写は必然ではあったのかなと思います。アイドルではなく、スクールアイドルをやっている女の子たちの話とした時に、たとえそれによってただ心地よいだけの空間が損なわれたとしても、青春モノとして必要なものであるからには描かれたというか。

高坂穂乃果の失敗について

穂乃果というキャラクターはここまでμ’sを牽引してきたことに間違いはなく、その前に進むパワーと人を惹きつける力は図抜けていたわけですが、その穂乃果に最初の挫折が訪れたのがここ2話でのお話となるかと思います。(3話は挫折ではなく出発点にすぎないので)
穂乃果の強さはいつだってシンプルで前に進むことにためらいがないところ、そして周りを自然に巻き込んでいけるところ。その推進力は非常に強くて、彼女だからこそμ’sがここまでことは間違いがありません。そしてその強さの拠り所は彼女自身の無根拠な自信、楽しそうな方向に進むことへの理由の無さから来ているものだと思います。
それがここまでの話では全てがっちりと噛みあって、彼女自身の推進力はμ’sの推進力に直結してここまで全てを引っ張ってきました。それはもう何もかもが上手く行きすぎて、穂乃果なら大丈夫だと見ている方も無根拠に思ってしまうくらいに。
けれど、11話でそれが崩れます。いつも通り、むしろいつもよりも前に進んでいこうとしていた穂乃果は大事な本番に風邪を引いて倒れました。いつだってできると思えばなんだってでてききたとライブ前に呟いた穂乃果の強さの象徴のような言葉は見事に裏切られて、どんなに自信を持っていたとしても、無理なものは無理だし、ダメなものはダメだったという結果が残りました。
無根拠な自信は考えすぎることがなくシンプルだから強いと同時に、無根拠だからその根幹が揺らいだ時にそれを守る理屈が何もないという脆さがあります。できることに理由がない以上、ダメだったことでダイレクトに穂乃果は沈みますし、結局自分自身が周りを見れていなかったことに理由を求めました。ただ、それは正しいと同時に穂乃果の良さをスポイルすることにもなりかねない反省で、だからこそ穂乃果らしくないとも言われる結果になります。
それでも何とか前向きさを保っていた穂乃果に追い打ちを掛けるような外的要因が三連発。途中からの目標でもあったラブライブ出場は辞退、当初の目標だった廃校は回避、そして止めが自分自身がことりのことに気がつかなかったことによりことりの留学が決まってしまったということ。
追い打ちに継ぐ追い打ちのようなエグい展開で追い詰められた穂乃果が、A-RISEを見てこんなふうにはとてもなれないと言うのは、依る術であった根拠のない自信とそれでも動く理由になった外的要因を失った時の必然的な落ち込み方でもあります。そして、屋上でのスクールアイドル辞めますの宣言まで、ここまでの話を引っ張り続けた高坂穂乃果の強さが、そのままそっくりと弱さに転じたような展開が続きます。
これを乗り越えるために試されるのは、穂乃果の覚悟なのだと思います。スクールアイドルになりたいのか。あのステージに立ちたいのか。ある意味で言い訳にできる理由も奪われた、親友のことりもいなくなるかもしれない、そして何より今までのように根拠なく自分を信じてもいられない。それでも、あの舞台に立ち続けるのか。問われるのがその部分だからこそ、ここが、スクールアイドルを目指した少女の物語のクライマックスであるのだと。
そして3話で数人しか客の入らなかったライブの後に会長に啖呵を切った穂乃果が言ったのは、廃校でもその時存在を知らなかったラブライブのことでもなく、やりたいから、この講堂を満員にしてみせるということでした。その気持ちが嘘でないのなら、今挫けそうになった穂乃果は必ず帰ってくると思いますし、だから最終回はもう一度スタートの物語になるのだと思います。

μ’sというチームについて

12話で、穂乃果の失敗は、μ’sの危機に直結します。
それはμ’sが穂乃果によって作られた、穂乃果のチームであるからに他なりません。
旗振り役、精神的支柱、μ’sの心臓は間違いなく穂乃果で、穂乃果だからこのチームは生まれてここまで育った。穂乃果に皆がついていくことを選んだ象徴的なエピソードが、6話でリーダーを決めたあの話になるのだと思います。
だから、穂乃果が折れるとμ’sは立ち行かなくなる。おそらく今までは穂乃果を支えることができていたことりが機能しなくなって、そして穂乃果が自分で崩れた時に、誰もこの状況を収められないというのがμ’sの現状となっています。
そのくらい穂乃果はエースにしてジョーカーであり、穂乃果がいるから大丈夫というのがこのチームには会ったんじゃないかと思います(表面上は役に立っていないように思えることが多々あったとしても)。
ただ、その絶対的切り札は自ら望んでその位置にいるわけじゃない、というのがこの状況を引き起こした一因なのではないかとも思うのです。
リーダーを決めた6話の話。穂乃果は最後まで、自分がリーダーであるとは言いませんでした。リーダーはいなくてもいいんじゃないか、みんながセンターだと最後まで主張していた穂乃果にすべてを預けて、彼女についていくんだと決めたのは他のメンバーであって、穂乃果が自分でリーダーになると言ったわけではないのです。
だから穂乃果はずっと自分のことしか見てこなかったし、そうやって自分のことだけ見て走っていく穂乃果を追いかけることでμ’sというチームは前に進んできました。そして、穂乃果がいるから、穂乃果について行けば大丈夫だという気持ちは間違い無くあったと思うのです。
それは、12話の屋上のシーンで、にこが穂乃果に詰め寄った時の言葉にも現れています。確かに、自らが作ったものに人を巻き込みながら、それを自分の都合で放り出す穂乃果は最低なのですが、穂乃果が自ら引き受けるといったわけでもないのにその責任を背負わせて、穂乃果に頼りきることで成り立っていたμ’sという側面は決して小さくはないと思います。彼女についていくんだと選択をしたのは、メンバーたちであるのにも関わらずに。
そしてその穂乃果に頼れなくなった時に、まだμ’sはどうすることもできていません。ことりは自分の問題で動けない。海未は考えすぎるきらいがあって上手く立ち回れない。そして最後に加入した絵里は、大局的に正しいことをできても、そういうチームの構造の機微までは掴みとれていない。それが得意そうな希も、穂乃果を信じすぎていたのか今回は動けなかった。
この状況を克服するには二つ道があると思っていて、一つは穂乃果がリーダーであることを明確にすること、もう一つは9人のμ’sであることを明確にすること。前者は穂乃果自信にそれ相応の責任を負わせて、メンバーがついていくこと、補佐をしっかりとすることで成り立ちはするのですが、たぶん物語としては後者の選択肢をとるだろうし、何度も言われてきた「9人のμ’s」はそうでないといつまでたっても「穂乃果のμ’s」でしか無いと思います。
誰かに一人に頼るわけではなくて、みんなが対等に、みんなで支え合えるチームへ。「それぞれが好きな場所で頑張れるなら、それぞれの好きなことを信じていれば」とOPで歌っている彼女たちならば、それができるのではないかと、チームとしてのμ’sの成長にも期待しています。




そんな感じの12話まで。ことりの問題はどちらかというと物語を動かすのに必要なキーイベントであって、ことり自身はあまり行きたそうには見えないし、穂乃果が止めさえすれば留学をやめても構わないと思っていそうなので、あまり深刻な問題にはならないのではないかと。だからこそ、そこで何も考えずに止められなくて、色々考えた上でことりが後悔しない方を選びなさいといってしまいそうな海未の損な性格も浮き立つのですが……。
ラブライブ自体はこの時点で出場できなくてもいいと思いますが、OPで踊っているのがどうみてもラブライブのステージなので、あのOPのノンテロップが最後の最後に持ってこられて、歌詞もあってラブライバー号泣、恐るべし畑亜貴! な展開もそれはそれでありだなあとか。赤丸急上昇アイドルの突然の辞退だったわけですし、理事長の手回しで21世紀枠的に出場しても、そこまで違和感は出ないんじゃないかなあと。


何はともあれ、残り一話、とても楽しみです。