【小説感想】推し、燃ゆ / 宇佐見りん

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ

 

あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。

相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。

 推すことはあたしの生きる手立てだった。業だった。

 何かを推すことで生きている人にとって、分かりみのある小説だと思います。当たり前をうまく生きられず苦しむ主人公の、推しを推すことで生きている感じ。肉を重いと言って、推すことを背骨だと言う感覚。推すという、ある種一方的な関係性。推しの情報を片端から摂取して、解釈してブログに吐き出そうとする行為。ネットで飛び交う言葉、ファン同士の推しを介して成立する関係性。

これを読んで救われる訳でも、面白い訳でも、何かを言いたくなる訳でもなくて、ただただ分かりみがある。主人公が推しているのはアイドルですが、それを他のものに置き換えても、そうやってどうにか生きている世界があるよねと。

物語としては、そうやって生きている主人公の、ただ一人の推しがファンを殴って炎上して、そして芸能界引退に至るまでの話。何かドラマティックな出来事もなく、主人公にとっての現実と推しがある、それだけの話。これを読んでどう思うかは読者に委ねられていて、可哀想だと言ったり、自業自得だと言ったりもできますが、個人的にはただ納得感が残りました。だってそういうものなんだから、そうなればそうなるしかないじゃない、みたいな。そういう意味でも、分かりみがあったという感じです。

それにしてもオタクの解像度が高いのですが、言葉選びとか節々にあまりにも分かりすぎているものを感じたり。小説としての感性の鋭さと同時に、ああこのフレーズTwitterかnoteにありそうだなみたいなキレがあって、それもまた分かりみを感じた要因だったように思います。書かれていることが、あまりにも近い世界過ぎて受け身がうまく取れなかったというか、なんだかそういう気持ちも残る一冊でした。