インテリぶる推理少女とハメたいせんせい -In terrible silly show,Jawed at hermitlike SENSEI- / 米倉あきら

インテリぶる推理少女とハメたいせんせい In terrible silly show, Jawed at hermitlike SENSEI (HJ文庫)

インテリぶる推理少女とハメたいせんせい In terrible silly show, Jawed at hermitlike SENSEI (HJ文庫)

タイトル出落ちと見せかけてそれだけではなかった作品は間々ありますが、タイトルから超弩級の問題作と思わせておいて大真面目な中身だったという作品はなかなか無いのでは、と思ったこの一冊。大真面目に主人公が強姦魔で女子中学生を襲っていくものでもありますが!
とはいえ、それはそれとして仕掛けとして面白い一冊でもありました。中身としては強姦魔のせんせいと乙女ミステリ脳を持つ比良坂さんの二人の会話がメインで進んでいくのですが、これがちょっと不思議な構造を持ったもの。最初こそ、文芸部の少女を次々に襲っていくせんせいを何故か強引な推理で守ろうとする比良坂さんという、ある意味物語的に真っ当な展開を見せますが、途中からそんなものはほんのジャブに過ぎなかったことが分かります。
例えば、物語には隠された歴然とした真実があって、探偵役はそれを解き明かすものだと言うのが前提。けれど、そこには事実なんてものはなくて、探偵が語る真実こそが正解になる、という構造は物語だからこそ取りうる裏返しのようなもの。だからここで語られていくものはただの推理でしかなくて、それが何度も浮かび上がってはほどけて落ちてを繰り返すだけのような作品に、本当の意味で事実なんて用意されていたのだろうかと。
一応主人公が強姦をして回ったという消せない事実らしきものはあるのですが、それだってこの信用ならない語り部の一人称である以上どこまで信じていいのか分からず、何となく愛のようなものでオチたとしたって、「という話を考えたんだけどどうだろう?」で盛大にスカされたっておかしくないだけに、そういう構造の実験としては面白くても、中身自体に意味を求めてはいけないんだろうなあとも。
そしてそこまで来れば、これは真実を解き明かす探偵の物語であったとしても、もう筋の通る展開をキャラクター自身に考えさせているメタ小説となんら変わりがないようにも思えるのです。物語の中だからこそ規定できるものを物語の中でキャラクターが宣言するのであるから構造的には似たようなもので、謎解きの物語を突き詰めてそこになければならない事実が半ば無効化された時にしょうもないものしか残らなくなる、やりすぎによる前提崩れの一つのモデルでもあったような気もします。
そんな感じで一歩引いた時に作品としてやっていることは目新しいかは置いておいても面白くはあったのですが、ひたすらもったいぶった冗長な会話が続く内容は正直あまり面白くないという、なんとも言えない感じの残る一冊でもありました。面白いけど、面白くないという、この。