【小説感想】コールミー・バイ・ノーネーム / 斜線堂有紀

 

コールミー・バイ・ノーネーム (星海社FICTIONS)

コールミー・バイ・ノーネーム (星海社FICTIONS)

 

 ある日、女子大生の世次愛は深夜のゴミ捨て場に捨てられていた美しい女、古橋琴葉と出会い、奔放に生きる彼女に翻弄されながらも惹かれていく。友達になることを拒む彼女が持ちかけてきたのは、恋人になること、そして自分の本当の名前を当てられたら、友だちになるという条件で。

斜線堂有紀初の百合長編と銘打たれた一作は、名前と呪いを巡る物語。愛だとか善意だとか、言葉では示せない二人の関係とそこにある感情に答えを見つけよう、それを証明をしようとする切り口は、これまでの作品にも共通するもので、今回はミステリアスな琴葉の存在と彼女の過去、与えられた名前が焦点になっていきます。初心なようで意外とズケズケと相手の懐に踏み込んでいく愛と、一定の距離以内の関係を拒絶しているようで知られたがっているようにも見える琴葉。その関係の変化と、どうして琴葉は琴葉になったのか。それまでの彼女の言葉、行動が繋がって、その全てが明らかになった時に改めて問われるもの。

囚われて呪われて、それはどうしようもなく今に影を落としていて、幕引きの後も無かったことにはならない。逆を言えば、そうでなければ古橋琴葉がゴミ捨て場に捨てられて、世次愛と出会うこともなかったし、その後の二人の「恋人」関係だってなかった。でも、それでも、この物語は二人の女子大生が出会って、恋に落ちて浮かれて、時にぶつかりながらも心と身体を重ねていく、そういうなんてことのないラブコメだし、そうでなければいけないと思うのです。過去は過去で、名前は名前で、でも世次愛と古橋琴葉に今以上のことはいらない。故に「証明継続」。逆説的ですが、そうなるために、名前当てという過去を開く儀式があった、そういうお話なのかなと思いました。

それから、この物語がラブコメであるためには、世次愛がこういう性格であることが大きいよなあと。惹かれて浮かれてどんどんお花畑になっていく様子と、常に前に進んでいく推進力、更に不意のタイミングで繰り出す踏み込みが、一歩間違えば共依存に沈んでもおかしくない関係をこういう形に持っていけたし、それが琴葉にとってどういう意味を持っていたのかを考えると、本当にこの二人で良かったし、この二人の物語を読めて良かったと思います。