【小説感想】恋に至る病 / 斜線堂有紀

 

恋に至る病 (メディアワークス文庫)

恋に至る病 (メディアワークス文庫)

 

 ネットを通じて指示を送る、そんな単純な仕組みから150人以上の被害者を生み出した自殺教唆ゲーム「青い蝶(ブルーモルフォ)」。その主催者であった寄河景のことを誰よりも近くで見てきた宮嶺望が語る、彼女との日々の物語。

小学生の頃から図抜けたカリスマ性を持ち、クラスを掌握、誘導して一つにすることに長けていた少女は、クラスメイトの少年を襲った出来事から、そのカリスマ性をある方向に向けて、やがて自殺教唆ゲームの主催者となっていきます。

どんな時も彼女のヒーローであると誓った少年が、小学校時代から中学、高校時代と彼女の一番近くで見続けたもの。いつしか生まれていた共犯者であり恋人でもある関係に絡め取られ、次第にエスカレートしていくブルーモルフォにモラルと愛情の間で苦しみ、それでも彼女を守ると決めた彼らが至った結末。

次第に狂っていくもの、あるいは初めから狂っていたものを、冷静に、理性的に積み上げていく作風は作者らしく、読んでいてると底なし沼に沈むような感覚があって怖いくらいです。というか、寄河景はもうほとんどホラーといってもいい領域にあるというか、その存在そのものが持つ引力には、ぞっとするものがあります。

宮嶺の言葉で語られる出来事、そして景との関係は、それを追いかけるだけでも否が応でも引き込まれるものがある物語なのですが、ただこれ、本題はそこではなく、まさにその寄河景が何だったかというもの。衝撃的な結末が突きつけてくる、貴方なりに寄河景を解釈しろという命題に対して、どう向き合うかを問われる一冊でした。

いや本当に凄い小説だったので、あらすじを読んでそういう話が好きだと思った人は、この答えの無い命題を突きつけられてみると良いと思います。

 

ということで、以下はネタバレあり。

 

 

 

 

 

 

この小説、寄河景の発言や行動が誰かを誘導するためのものなのか、それとも本心からのものなのか、宮嶺の視点から描かれるこの小説では一切分からないというのが、大きなポイントなのだと思います。

彼女には間違いなく人を操る力があったけれど、その操りの射程がわからない。特に一番近くでそのターゲットになっていたはずの宮嶺が、どこまで操られていたのか、どこからが景にとっても想定外の行動になっていたのか、それがわからない。

それ故にこの物語は解釈の余地を多分に残しています。

誰一人として愛さなかった化物か、ただ一人だけは愛した化物かの物語であり、寄河景という人間そのものを謎としたミステリーです。

本当にこのあとがき通りで、幼少期から見ていても景には謎が残る。というよりも、鍵になるような情報は確かに景から発せられるのだけれど、それを事実として出てくる出来事と合わせた時に、どうに解釈しても成立するのです。

例えば、始まりに当たる小学生時代の大きな事件は、女の子と凧の事件と宮嶺へのいじめの2つ。これをスケープゴートを探していた景が仕組んで宮嶺がハマったものだとしても、凧の事件で宮嶺を特別に想った景がいじめを誘導して最終的に共犯者になることで罪悪感で絡め取ったとしても、純粋にいじめに憤慨した景が宮嶺のためにその能力を暴走させていったと考えても、それなりに筋は通ります。後半での告発への回答だって、それ自体が宮嶺への次の誘導かもしれなくて、真実かどうかなんて分からない。中盤の共犯関係、肉体関係、弱みに依存とあらゆる手で宮嶺を絡めとっていく景のあり方も、その動機がどちらであっても成立します。

そして、宮嶺の疑惑が景に向いてからの終盤、これは解釈によっていくらでも違う物語が浮かび上がる底なし沼のようなもの。寄河景というブラックボックスとオープンエンドの結末によって、一冊の中で異なる回答が成立しているのが凄いと思いました。もしかすると読み込めば正解があるのかもしれないですが、私としては解釈に幅があることが魅力に感じます。

 

その解釈の中でも、景を庇おうとした宮嶺に入見が突きつけた、スケープゴート説はきっと模範解答です。善く真っ当な解であり、その線で最初から読んでいっても、寄河景ならありえなくはないと思えてしまう。最後の消しゴムだって、宮嶺に景の好意を信じさせるためのものに過ぎなかったかもしれないし、実際それは効果を見せている訳で。

ただ個人的にはやっぱり、寄河景の中に、宮嶺望への特別な感情はあったし、それが故に至ったのがこの結末だと思います。

という訳でここからは私の解釈を。

 

最初に出会った通学路の場面で宮嶺から特別な呼び方をされることさえ拒んだ景は、凧の事件の後、明らかに宮嶺を特別な存在として扱い出します。(この事件を自分が引き起こしたと言っていることは、化物としての景を印象づけるためのブラフかなという気がします。殺人鬼であることと、可愛そうな少女を助けることは、人を誘導するという観点に置いてたぶん両立する)

そしてその後の二人の共依存めいた関係は、やっぱり景に本心から宮嶺への「特別」がなければ生まれないのではないかと思います。もちろんそれをスケープゴートのためにできてしまうのが景というのも分かりますが、消しゴムも恋のおまじないだったと思いたいところはあるというか、その方が関係性として美味しいというか。

そこからの根津原によるいじめ、最初の事件、ブルーモルフォの誕生という流れ。このいじめが景のコントロール下にあったにしても、無かったとしても、その状況を使って罪悪感と愛情で宮嶺を縛り上げていく手管は、寄河景のヤバさを象徴するものがあります。もちろん、その動機が宮嶺のためであれ、快楽のためであれ、人を誘導して死に追いやっていく行為自体も。

他人に方向性をつけることに快楽を得るタイプの人間が、こうして誘導を死の方向に偏らせていったのは、宮嶺へのいじめに見た人の流されやすさへの怒りは確かにあったのかなとは思います。まあ、それが景自身による誘導で起きたことだとしても、この怒りは成立するからなんともなのですが。ただ、流される他人への怒りと、自分が人を流せることが両立するのは、それはなんというか、地獄めいているよなと。

そして、徐々にブルーモルフォの情報を開示しつつ、弱みも見せて宮嶺が離れていかないように絡め取っていたところから、自身を化物だと認識させる方向に景が舵を切ったタイミングは、ブルーモルフォの終着点にまつわる会話の部分なのかなと。死後の世界について景が信じると言った時に、きっとまたそこで会おうと景が返したところ、それがターニングポイントだったように感じます。ブルーモルフォの真実を知るごとに、ブルーモルフォ無しの未来を語るようになった宮嶺をこのまま引き止め続けられない。けれどブルーモルフォ=自分自身になっていた景はもう引き返せないとなった時に、最終地点が定まったのではないかと。

そこからの展開は、要するに宮嶺を試し続けた上での心中なんじゃないかなと思いました。追い詰めて、告発されて、ブルーモルフォを燃やさせて、その上で最後に突きつけた選択。確認したかったのは、化物になった寄河景であっても、宮嶺望はヒーローでいてくれるのか。自分の特別な人は、自分のためにどこまでやってくれるのか。そして宮嶺は景の味方であることを選んだから、「やっぱりそうか」であり「ブルーモルフォは完璧だった」なのだろうと。

ただ、宮嶺望が寄河景の操りによって最後まで寄河景のヒーローで有り続けた可能性は、たとえここまでやったとしても消えないのだから、どの道、宮嶺望を愛した寄河景という存在は行き止まりだったのかもしれないなと、そういうふうにも思います。だからこそ、こういう結末にしか到れなかったんだろうとも。

 

ともあれ、寄河景は地獄に落ちて、宮嶺望もまた地獄に落ちることを選んだ。宮嶺望は寄河景のヒーローであり続け、寄河景という化物は唯一宮嶺望だけを愛し続けた。

これはそうして地獄に落ちていくことを選んだ者たちの物語であったのだろうと思いました。