異セカイ系 / 名倉編

 

異セカイ系 (講談社タイガ)

異セカイ系 (講談社タイガ)

 

 小説投稿サイトでトップ10にランクインしたらその小説の世界に入れるようになったニートの主人公が、異世界転生、創作者とキャラクターの関係、突然のミステリ展開、時間SFと、メタにメタなメタフィクションを駆け抜けていく、ちょっと簡単には表現しづらい一冊。ですがこれ、そうやって主人公が悩んでもがいて駆け抜けた結果が最後の最後に語られるメッセージにたどり着いたのではなく、このメッセージが初めにあって、それを支えるようにすべてが組み上がっている作品なんじゃないかと感じました。

読んでいると確かに、突拍子もない展開でも考えてみればそれしか無いという道をたどっていくのですが、ちょっと違和感がある感じというか、「そうであるためにそういうことにした」という恣意的な感じがあります。それはこの作品において展開が主人公の「創作」であるために正しさではなく意思を道標にさせていて、なおかつその在り方自体も作品に自己言及的に織り込まれいるので当然ではあるのですが、それにしても最後の方に行くほど無理筋を跳んでいくような印象が。

そしてこのラスト。それからラスト前に明かされる、それ本当に明かしていいの? という設定。ここまで読んで、これはこの素朴な善性が何よりも先にあって、それが生まれた瞬間に、そうであるためにすべてが生まれ、無理筋を繋ぎ、そして出発点としての主人公に至った(そういうことにした)のではないかと。「小説に入れる能力」から辿り着いた帰結ではなくて、この善性をそうであらしめるために、同じような構造が小さく繰り返されて至った出発点が「小説に入れる能力」だった、みたいな。

最近のテーマをこれでもかと取り入れて、創作者とキャラクターの関係性の在り方を真摯に真摯に突き詰めた上で両側から編み込まれたみたいな美しい構造を作り上げて、あれやこれやとギミックを仕掛けて、関西弁の疾走感で前に前にと進みながら、実は後ろに向かってぶわっと広がっていくような不思議な感じ。

たったそれだけのことのためにこんなにと思うか、それだけのことだからこれが必要だったんだと思うのか、その広がり自体を楽しく感じるのか、その中にあるテーマに興味を惹かれるか、なんだか凄い試みのような、大真面目すぎて面倒くさいような、どうにもとらえどころのない面白さのある作品だと思いました。

りゅうおうのおしごと! 9 / 白鳥士郎

 

プライドが高く、大人びていて、生意気で、努力家。10歳にしてマイナビ女子オープンを勝ち抜き挑戦者となった『神戸のシンデレラ』夜叉神天衣が挑むタイトル戦の相手は、女流では無敗を誇る『浪速の白雪姫』空銀子。 9巻は天衣の物語。そして、負ければ終わりの勝負の世界を描いてきたこのシリーズが描く、負けてなお前を向いて進む、挑戦者の物語でした。

私がこの作品で一番好きなキャラは天衣なのですが、ただ、どうしてもあいと比べるとどこかで頭打ちになるような設定を背負ったキャラでもあると思っていました。年齢不相応に聡くて、なんでも自分で解決しようとするタイプが、どんなに考えても越えられない壁にぶつかった時、自分が駄目だと思ったらそこで折れるんじゃないかと。だからもうこれは、来たるべくした展開に来たるべくしてきた挫折だと思って。そうなったら、もう在り方から変わるしか無いんじゃないかと。

でも、この巻で夜叉神天衣は夜叉神天衣のままに、大切なものを見つけて、前に進み続ける覚悟を得た。変わったんじゃなくて、広がったという感覚。何よりそれが最高の一冊だったと思います。圧倒的感謝と尊み。そりゃあお祖父ちゃんも泣くわ。

今回は亡くした両親のために将棋を指してきた天衣が、失ったものに区切りをつける物語でもあるのですが、ただそれを過去にするんじゃないというところがまた素晴らしかったです。八一がこれまであいとは違って天衣に将棋を教える姿がほとんど描かれてこなかったことが、まさかここに繋がってくものだとは。そして八一とあいとはまた違う師弟関係を見せてからの、天衣だけが知っているもう一捻り、そして最後に活きてくる『シンデレラ』の意味。対局もいつもながらに死ぬほど熱いですけど、いや、この流れ本当に最高だと思います。というか今回の八一はちょっと格好良すぎるでしょ……。

そして今回は自分を貫くという物語でもありました。棋風は棋士の生き様であり、魂であり、イデオロギーである。それはつまり、人生をかけて闘っているということであって。ただ、それを貫くことを謳いながら、振り飛車を貫いた生石さんの勝敗を一言のセリフでさらっと書く、理想と勝負を一致はさせないバランス感覚は流石と思います。

天衣と八一を中心にしながらそれぞれのキャラクターの物語もまた熱量を持って動いていて、中でも気になるのはやはり女流棋士から見たら圧倒的な存在である姉弟子が見据える、三段リーグという魔境。これまでの展開、そしてこのエピローグ。もはや壮絶な地獄が待っているとしか思えなくて、次巻、マジで怖いです。

アメリカ最後の実験 / 宮内悠介

 

アメリカ最後の実験 (新潮文庫)

アメリカ最後の実験 (新潮文庫)

 

 宮内作品は結構な割合でよく分からなくて、私の頭ではさっぱりわからん……と思いながら読むことになるのですが、これはまた過去最高に分からないぞという。

帯に「音楽バトル×ミステリー×エンタメ×純文学×SF×青春」という盛り過ぎでは? となるキャッチコピーが踊っていて、なんのこっちゃと思うんですが読むとまさしくそういう小説なのです。あらゆる要素がごった煮されていて、でもしっかり一つの話としては成立している、けど結局どこが主題なのかわからない。音楽はゲームだと悟った主人公が、それでもその先へ手を伸ばそうとする音楽の話な気がするけれど、この物語にとって音楽が何なのかわからないし、むしろ展開的には青春バトルものとなっていてさっぱり分からない……と思ってたら解説で作者の構想は音楽版「グラップラー刃牙」とあってなるほど……なるほど? って。

音楽がテーマということで言ってみると、様々な要素がサンプリングされてリミックスされた小説という印象です。そうであれば、それぞれの要素に引っかかってドツボにはまるよりは、総体として考えずに感じて気持ちよければそれでいいと思考放棄に私は至ったという。大真面目なのか与太話なのかすらもはや分からないながら、そこに価値があるのかとか、意味があるのかとか、そんなことはもう関係なく、読んでいる時は謎の楽しさがありました。うん。楽しかったからそれで良い。

メイドインアビス 7 / つくしあきひと

 

メイドインアビス 7 (バンブーコミックス)

メイドインアビス 7 (バンブーコミックス)

 

 第6層という人ならざる者の領域でなれ果てたちの村を舞台に描かれる物語は、やっていることは今まで以上に王道少年漫画なのに、ビジュアルや在り方は人知を超えたものだらけで、座りの悪い狂気を感じます。ただこの巻は、それさえも人の行き着いた先に端を発したものだったっぽいのがなんともはや。ボンドルド卿が人間の欲望の最果てだと思っていたのですが、そうか、まだ先があるのかと……。

そしてこの異形の村の成り立ちが段々と明らかになる中で、特異点であるこの村自体はアビスを巡る謎とはまた別のものであって、人ならざる領域は更に果てにあると分かってくるのも言葉を失います。そしてその領域に手を伸ばしていくことに何のためらいもないリコの言葉が、ただただその通り過ぎて、業の物語であるなあと改めて思いました。

そして業といえば ページを捲った瞬間に始まったのがアレなトイレの話で、ちょっそれは……みたいな気分になる程度には相変わらず性癖が爆発してるんですが、いや本当に業が……深い………。

2011年の棚橋弘至と中邑真輔 / 柳澤健

 

2011年の棚橋弘至と中邑真輔

2011年の棚橋弘至と中邑真輔

 

 プロレスが好きです。

と言っても、ずっとファンだった訳ではありません。子供の頃、19時頃にTVKがノアの放送をしていて、ちょうど絶対王者時代の小橋をよく見ていましたが、いつか放送がなくなると多分にもれずK-1やPRIDEを見るようになり、プロレスは全然見なくなりました。なので、改めて見始めたのはちょうどブシロードが大量の宣伝を投下した2012年頃で、まんまとプロモーションに乗せられた形だったように思います。それから、2014年1.4東京ドームの中邑vs飯伏ですっかりハマって、ネット配信を熱心に見るファンになったという感じ。

なので、新日本の暗黒時代や、そこを支え続けた棚橋の話は噂に聞くという感じで、今圧倒的な人気を誇る棚橋がブーイングされ続けていたと聞いてもピンとこなかったのですね。ということで手にとったこの本だったのですが、これはなんというか、壮絶な道のりであったのだなと。

日本の総合格闘技全盛期に、アントニオ猪木のプロレスは最強の格闘技というイデオロギーにより迷走を続ける中で、プロレスを誰よりも考えて、誰よりもプロモーションに奔走し、ブーイングを浴びながらも常に先頭に立って新日本プロレスを変えてきたのが棚橋であり、そのライバルとして別の考えを持ち別の道を歩んできたのが中邑であり、二人の言葉と彼らを語る周囲の人達の言葉はさすがの説得力があるなと思います。

そして、インタビューでの二人の言葉を読んでいるとああ、やっぱり私はプロレスが好きなんだなと。

「戦うことによって環状を表現し、メッセージを伝える。プロレスラーという職業は、一見、シンプルな構造に見えて、実は自分の生き様が反映される複雑な創作活動です。難解だけれど、究極の表現、芸術なんじゃないかと僕は思っています」――中邑真輔

 

「振り返れば、僕たちはプロレスを通して生き方を競ってきたような気がします。『俺はこう生きる。お前はどう生きるんだ?』って」――棚橋弘至

リングの上で戦うことによって行われる表現。だから最終的には観ている人にどんな感情を抱かせたかという、その一点に集約されるもの。それがプロレスの場合はすごく複雑な手続きで提示されているのだと思います。

試合の瞬間瞬間に生み出される動き、技、表情、声。どちらが攻める、どこを攻めるという試合自体のストーリー。それぞれの選手の持つキャラクターと、試合までにリングの内外で作られてきたストーリー。キャラクターを超えて、選手自身がここまで歩んできたキャリアと人生の全て。選手同士の間にある生の感情、関係性。団体への想い、プロレスへの想い、イデオロギー。最終的な決着、勝敗、それを受けての行動、言葉。

演じられるもの、決められたもの、それをすり抜けてくる生の感情や所作。小さいものから大きなもの、短いものから長いものまで、メタ的な構造のある多くのストーリーがリング上での戦いに絡みつき、選手と選手がぶつかるたびに、想定されたものも、想定外のものも含めて何かが生まれれていく感じ。中邑真輔が「即興の芸術」と語るその作品は、シンプルな体と体のぶつかり合いの果てに虚構と現実が複雑に絡み合った結果、選手としての生き様としか言えないものが滲むから、観ているこちらの心を動かすのだと思います。

勝敗が決まっているんでしょ? というはプロレスへの一般的な疑問としてよく言われるものですが、勝った負けたというのも、そこに至った要因も含めて、全てはパーツに過ぎないのかなと。その膨大で複雑な組み合わせと、リング上で交わった選手たちの瞬間の表現が導き出す何かこそが、観ている人の心を動かすという、最終的な結果を導くものなのだと思います。

 

私は音楽ライブが好きでよく見に行くのですが、結局、表現というものを受け取る側の立場として、その場だけの、生の何かに感情を動かされる感覚って、プロレスも音楽も一緒だなと思います。勝敗を競う格闘技や優劣を競うコンクールではないから、最終的には受け手の心をどう動かしたかに尽きる。

特に私はそこに生き様が見えた時に魅力を感じるし、二重三重に別の物語が絡み合って何かが生まれる感じが好きなのは、たぶん声優がキャラクターとして表現するライブが好きなのとも根っこは同じなんだろうなと思いました。

神のゴミ箱 / 入間人間

 

 住人は変人だらけの安アパートで、主人公が手に入れた神のゴミ箱(他の部屋のゴミがやってくる)をきっかけで生まれていく、住民同士の奇妙なつながりの物語。つまり入間人間の十八番な訳ですが、いや本当にこういうの書かせたら滅茶苦茶に上手いなあと思いました。

ちょっと難ありというか、社会の真ん中から外れた人たちの、この微妙な距離感。夏の暑い日のあの空気感。言葉にできないはずのものが、読んでいると感触として確かに感じられるのが流石と思います。そして大きな物語ではなく、なんてことのない彼らを描くこの作品は、結果的に主人公の神(ジン)を廻る三角関係のような恋愛ものの色が強くなります。ワケあり中学生な木鳥の初恋物語も良かったですが、比内と神野関係がなんだか凄く、ああそういう感じってなる何かで良かったです。

というか比内という無職女性、情緒不安定で傍若無人でまず手が出るタイプという、所謂暴力系ツンデレヒロインをリアル方向に振って可愛げを取り払ったみたいなタイプの人間で、どう考えても関わり合いにならない方がまっとうに生きられそうなタイプな訳で。神との出会いもまあ碌なものではなく、その後のなんとなく切れない関係も大して碌なものではなく、別に話が進むにつれて性格が良くなることもなく。でもなんだろう、こう、失恋のダメージから対人関係に一線を引いていた神との間に不器用な縁ができていく感じ、ああなんか側にいるの悪くないなと最後には主人公と一緒に読んでいるこっちも思わされる感じ、とても良いなと思いました。

どうでも良い話と言ってしまえばそれまでで、起承転結という感じもなく行き当たりばったりで、でもだからこそ、こういう人たちによる、こういうなんてことなく微妙な関係を描かせたら、素晴らしいなと思う一冊でした。

ところで続編ありって明言されているのに3年半経とうとして音沙汰がないとはこれ如何に……?

甘々と稲妻 11 / 雨隠ギド

 

甘々と稲妻(11) (アフタヌーンKC)

甘々と稲妻(11) (アフタヌーンKC)

 

 この巻は、というかこの作品は、もう小鳥の告白シーンに尽きるでしょう。

小鳥が卒業することで、犬塚先生との関係は何かしらの決着をつけなければいけない時期が来ていて、話の流れ的にも帯の煽り的にも、そういう方向なのかなって邪推した自分が申し訳なくなるこのね、本当にね。でも明らかにミスリードしてるし……。

小さな女の子といっぱいいっぱいだった父親、そしてトラウマを抱えた少女。彼女たちが出会って、一緒にご飯を作って、食べて、そうして大切な時間を積み重ねてきて、小鳥が伝えたかった想い。何が好きで、何が嬉しくて、何が大切だったのか、その全てがあの言葉と表情に集約されていて、あまりの尊さでぼっろぼろ泣きました。先生の返しがまた本当に素晴らしくて、いや、尊い……。

だからこそ、卒業式、小鳥の家の改装休業と、終わりに向かっていく時間の寂寥感が大きくて、そこにつむぎのアルバムが出てきたらもう泣きますよね。3人と周りの人たちが積み重ねてきた時間と、あのつむぎがこんなに大きくなった姿に、読者としてもこれがどんなに大切なものなのかを噛み締めさせてくれるようなシーンでした。素晴らしかった。傑作、だと思います。