ひぐらしのなく頃に 祭り囃編 中・下巻 賽殺し変 / 竜騎士07

ひぐらしのなく頃に解 第四話~祭囃し編~(中) (講談社BOX)

ひぐらしのなく頃に解 第四話~祭囃し編~(中) (講談社BOX)

ひぐらしのなく頃に解 第四話~祭囃し編~(下) (講談社BOX)

ひぐらしのなく頃に解 第四話~祭囃し編~(下) (講談社BOX)

ひぐらしのなく頃に礼 ~賽殺し編~ (講談社BOX)

ひぐらしのなく頃に礼 ~賽殺し編~ (講談社BOX)

今更ですが、ようやく私の中で「ひぐらしのなく頃に」が完結しました。

※さすがに何を語ってもネタばれになりますので、ひぐらし未経験の方は注意お願いします。




祭り囃編は、これまでの各話の経験を生かして、遂に敵の大ボスを倒す物語。力を合わせること、仲間を信じること、気もちで負けないこと。どんなに凄惨な運命も、哀しい誤解も、皆の力が合わされば跳ね返せると学んできた古出梨花と羽入の最後の闘いとなります。
昭和58年6月に至るまでに起きてきた出来事、そしてそれぞれの抱える想いを断片的に見せて行くカケラ紡ぎは、雛見沢を覆う悲劇の予感を感じさせるとともに、それだけじゃない希望も感じさせてくれるもの。そしてこれを持って、「ゲーム」としてのひぐらしのなく頃にはようやくクリアへの全ての前提条件がそろった状況となります。
ゲームの内容は雛見沢を縛るルールX,Y,Zを超えて、幸せな未来というゴールを目指すもの。そのために、これまで手に入れた全ての情報と、仲間たちへの信頼を活かして、プレイヤー=梨花が運命に立ち向かいます。それは、言うなれば残機0でようやく手に入れた勝利のチャンスに、全てのピースをあるべき場所にはめて行くようなもの。この意味で、ひぐらしがあくまでも「ゲーム」の構造を持っているのだなと納得。
祭り囃編のその後の展開は、まさに圧勝の一言。そんな馬鹿なと思うようなことまで何もかもが上手く行く、おおよそ都合のよすぎる展開もこれまでの積み重ねがあるからこそカタルシスに。皆殺しでやることをやった分だけ圭一やレナの見せ場が減っているのはちょっと残念な気もしますが、ここにきてようやく間に合った赤坂を初め、大人たちの存在感が圧倒的でした。そしてその赤坂のチート的な強さとカッコ良さは圧巻。「梨花ちゃん、君を助けに来た」は鳥肌モノだと思います。
ただ、相変わらず唐突過ぎる情報の出し方とか、語らなくてもよさそうなことまで語りすぎるところに難がある感じで、小説としては読んでいて違和感があります。ストーリーは吸引力十分なだけに、この辺りの見せ方がもう少し上手くいっていると、さらに面白くなるのじゃないかなという気も。
とはいえ、今までのうっ憤を仲間たちの信頼と協力と信念でぶち破る、最後の最後にふさわしい爽快な話だったと思います。

そしてエピローグ的な番外編が賽殺し編。惨劇を乗り越えた雛見沢で、交通事故にあった梨花が「罪のない理想の雛見沢」に迷い込む話で、これは最後に無くてはならない話だと思いました。
ひぐらしのテーマは、お互いをそして自分の想いを信じることや話し合って協力すること、絶対にあきらめないことにあるのと同時に、罪を赦すことというのもあるようで、だからこその祭り囃編ラストの鷹野の結末であり、羽入=オヤシロ様信仰の在り方なのだと思います。
でも、それを考えたときに「何度もやり直せる」という梨花の立場から語られる物語はどうしても「失敗したらやり直せばいい、罪も死も何も取り返しのつかないことなどない」という印象を与えてしまって、個人的にそれがずっと違和感として引っ掛かっている感じでした。
ひぐらしのゲーム的な構造、並行世界を渡り歩くメタ的視点を手にした梨花という存在は、それ故に物語のメッセージを自己否定するような形になっていて、そしてその視点を持ったままに昭和58年6月、惨劇の向こう側までたどり着いている。だからこそ、この物語にはひぐらしのキャラクターとしての梨花に憑いた神の視点という人の枠を超えたものを祓う、このエピソードが欠かせないのだと思います。
その部分については作中で羽入とレナの口からくどいほどに語られているわけですが、やはりこれがあるからこそ、梨花フルデリカというメタ視点から分離して一人のキャラクターに戻り、彼女と仲間たちが自らの手で切り開いた昭和58年6月以降の雛見沢を一生懸命に生きて行くことで、ひぐらしという物語は本当の意味で全てを語り終えるのだと思いました。

そんな感じにシリーズ通して、粗はたくさんあるけど、それを上回る勢いのある作品だっと思います。面白かった!