無花果とムーン / 桜庭一樹

無花果とムーン

無花果とムーン

月夜は、奈落が、えいえんに大好き。

かなり砕けた口語体で語られる、パープル・アイの不思議な少女である月夜と死んでしまったお兄ちゃんの奈落を中心に、彼女の家族である超現実主義者の兄貴に教師の父親を始めとした彼女の周りの人々を描いた物語。
地方都市、大人まであと一歩。大人にならなかったお兄ちゃん。現実主義者の代表みたいな兄貴。現実とか恋愛とか、そういうものに手をかけられなくて、外れていく少女の一夏。まさに桜庭一樹の少女を描いた小説という舞台設定で、月夜の視点から描かれていく物語は、「推定少女」とか「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」とか「少女には向かない職業」を思い起こさせるような感じ。月夜が死んでしまったお兄ちゃんに捕らわれて、何かに背を向けるように捕らわれていったものの正体はたぶん、あの作品の少女たちを包んでいたものと同じもので。
だからといってこれは過去作をなぞるだけの作品ではありませんでした。作者の変化か、読者としての私の変化なのか、ここには触れれば切れそうな鋭さはもうなくって、そのかわりどこまでが現実だかわからない、この世とあの世の間に浮かんでいるような幻想的なものがあって。でも、一番大きな違いはそこではなくて、月夜の周りには手を差し伸べる大人たちがたくさんいて、その手がついには月夜に届いたってことなのだと思います。
様子のおかしい娘を心配して、何とか奈落の死から目を背かせようとしていた父親も、その圧倒的な現実主義で月夜を叱って、けれどどうしても様子のおかしい義妹にどう接していいかわからなくなった兄も、奈落の元恋人で月夜のことを一番に嫌っていたはずの苺苺苺苺苺先輩も。おとなになれなくて、どうしてもなれなくて、ピンクの霧に捕らわれて消えそうな月夜に、伸ばした手が届いた。引き上げられた。
絶望と一緒にひとりで大人になるのでもなくて、大人になれなくて失敗するのでもなくて、失敗から始まって、でも周りの大人達が伸ばした手が届くっていうのを、それでもまだ生きていけるよっていうのを、ここに来て桜庭作品の中で読めたということが、月日の流れを感じるとともに、なんだかすごく特別なことのように思えました。
こういう言い方をすると大袈裟かもしれませんが、あの頃、「あたしたちを捕まえて」と言ったあの少女たちの先に、これでようやく進めるんだというような思いが、読者としてはある一冊でした。すごくすごく、この物語を読めて良かったなと思います。それと一緒に、もうあんなに死にそうな気持ちで桜庭一樹の小説を読むことはないんだろうなあという切なさもあったり。でもやっぱり、二十歳のころからずっと続いていた、魔法のような呪いのようなものが解けたような気はすごくして、これだけの時間がたった今、この小説が読めて良かったと思うのです。