ワルキューレ 2nd LIVE in 横浜アリーナ「ワルキューレがとまらない」 1/29

 

ワルキューレがとまらない

ワルキューレがとまらない

 

こういうのが見たくてコンテンツのライブに来ているんだよ! と言いたくなる素晴らしいライブでした。あのステージの上で、ワルキューレの5人は演者自身であり、キャラクターであり、そしてこのコンテンツの一番のファンであって、だからこそそこに物語が生まれるのだと思います。アンコールで作品やキャラクター、そして仲間である他のメンバーのことを涙ながらに語る5人の姿に「あーーーー」って。

そしてまたパフォーマンスと演出が見る前に想像をしていたものから数段上のレベルにあってびっくり。なまじ声優=キャラクターコンテンツ色々見てきていて、2ndライブならこんなイメージかなというのがあっただけに、始まって数曲の間あまりに予想以上のものが出てきてぽかーんと見ていたような感じです。とにかくワルキューレの難しそうな歌を生バンドに合わせて当たり前のように歌って、当たり前のように踊って、当たり前のようにハモっているのが衝撃的で。ちょっとこの世界の当たり前レベル上がり過ぎじゃないですかねと思います。

それから、あの5人が本当にワルキューレなんですよ。JUNNAと鈴木みのりは彼女たちが歌えばそれが美雲でフレイアという感じで、JUNNAはそりゃあ上手いだろうと思っていたけれどそれに引けを取らない鈴木みのりにびっくり。そして私はあの声質で伸びやかに歌うのがめっちゃ好きです。その2人がパフォーマンス的にツートップで、一歩引いたお姉さんポジションに安野希世乃がいて、キャラクターに徹する西田望見東山奈央が脇を固める。もう立ち位置から何から完全にワルキューレ。あとアンコールの「ワルキューレがとまらない」の時に目の前のセンターステージで奥から目一杯走ってきてくるっと回った鈴木みのりは完全にフレイアでした。本当にキャラクターとのシンクロ率は高かったと思います。

あと、これまでシンデレラガールズのライブでしか見たことのなかった安野希世乃の透き通ってとてもよく伸びる歌声にびっくりしました。ああ、この人こんなふうに歌う人だったのかと。間違いなくCDの音源の時よりずっと上手かった。そしてメッサーの最期をバックに背負いながら歌う「AXIA〜ダイスキでダイキライ〜」から「GIRAFFE BLUES〜Kaname Solo Requiem〜」の流れでの感情の入れ方が凄かったです。ワルキューレのメンバーのことを想って歌ったという鈴木みのりの「God Bless You」もそうでしたけど、感情表現にやっぱりこの人たちは役者なんだなあと思わさせられました。

他にも演出だったり豪華なゲストだったり書ききれないくらい見どころがあった、本当に見ることができて良かったと思うステージでした。ライブが終わってからワルキューレのアルバムを聞き続けているのですが、ライブ前とは全然違って聞こえるくらいに曲の印象さえも鮮やかに塗り替えていった、素晴らしいライブだったと思います。

小林さんちのメイドラゴン 1~5 / クール教信者

 

「小林さんが無自覚なほど私は嬉しいです。そんな簡単に私を救ってくれる人がいるんだって」

アニメが思いのほか良くて原作を一気読み。

私の趣味のど真ん中に、はみ出し者たちの寄り合いみたいなやつというのがあって、あと人外と人の絆みたいなやつも好きで、まあ要するに好きな要素のかたまりですよねこれ。

そんな訳で傷ついてこの世界に逃げ落ちてきたドラゴンのトールを、小林さんが自分のところに迎え入れて始まる異種間コメディマンガ。命を救われたトールが小林さんLOVEの一念で色々頑張ってたり、人間を下等種と見下した終焉をもたらす竜のくせにわりと人の生活に馴染んでたり、あと他にも竜が出てきたりして、価値観の違いでトラブルもありつつなんやかんや賑やかで平和な日々を過ごすという感じです。トールがメイドなのは小林さんの趣味。

そしてこれ、ほのぼの可愛いギャグと思わせつつ、凄くザラッとした質感というか、こうダウナーなマイナス方面の空気が満遍なく漂っているんですよね。トールが死にかけていたところや、そもそもの生まれや置かれてた環境だとか、それによって彼女が抱えている脆さや傷だったりとか。ドラゴンと人の間のなんだか埋まらない溝だとか。小林さんにどこか漂う諦念とか。でもそういうのも全部含めて、彼女たちは一緒にいる。そうやって身を寄せ合って今この世界で生きることができる。

小林さんは人との関わりが根本的に不得手で、友だちはいても親友はいなかったというのを気にしている節もあって、でもその不干渉さがトールやカンナを救ったところはたしかにあって。そして彼女たちは一緒にいることで変わってもいく。

それからまた、トールたちからすれば、そうであることを定められて闘い続けたそれまでの先に、こういう世界があった。ご隠居さんみたいとトールがカンナに言われていますが、終わった先の安寧、みたいなものがまたすごく好みです。この話、正直トールが死ぬ間際に見た永い安息の夢で会ってもおかしくないんじゃないかというくらいで。イルルの話に特に顕著ですけど、ドラゴンたちにとってこれは赦しと救いの物語なのだと思います。その良し悪しは置いておいても。

結構雑だったり下品だったりなところも多いのですが、そのくらい肩の力が抜けているのがこの作品らしいなと。決して優しい物語という訳ではないと思うのです。すごく突き放した感じがあって、でも同時に何があったって広く受け止められているという感じもする。大丈夫だよと言われているような。好きです。うん、これは好き。

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー


「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」予告 希望編


「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」予告 フォース編

 

STAR WARSのEP4直前、デス・スターの設計書を帝国軍から盗み出した人々の物語という、EP4のOPで文字が流れていく中で語られた出来事を一本の映画にしたスピンオフ作品。つまり正式なナンバリングではなく、多分に二次創作的なところのある作品なのですが、それがSTAR WARSオタクな監督に最高にハマった感があります。

もうとにかくオレの考えた最高のSTAR WARS感が半端ないです。細部まで本当に好きなんだなあというのが伝わってくるこの感じ。監督やスタッフの中にあるSTAR WARSかくあるべしみたいな熱量が迸ってて、うん、そういうの大好きだよって。私はSTAR WARS好きだけどそこまで詳しい訳ではないですが、それでも「それな!!」みたいなところがたくさんあって素晴らしかったです。しかしギャレス・エドワーズゴジラもそうだったし、いつも溢れ出る愛で映画を撮る監督なのだろうか……。

物語としては反乱軍という組織自体が、決して理想を掲げる美しいものではなく、それ自体アンドーのやっていたような暗部を抱えたものなんだということが描かれたのが面白かったです。あと、ジンの証言は観客目線では真実なんだけれど信じるに値する根拠がなさすぎて、そりゃあ合議制を取ろうとする反乱軍は動けないよなとか。

結局、ジンと彼女を信じると決めた人たちが独断専行で動き、それによってこの先の帝国崩壊に繋がっていったというサーガの歴史になる訳ですが、理由もやり方も滅茶苦茶で、でもそうでもしないと何も打開はされなかったという。一人の英雄が勝手を通すというのなら、じゃあそれはパルパティーンのやり方とどこが違うのか、思想の問題か、みたいなところは思ったり。

あと、この作品EP4の頭でレイアが置かれた状況を考えればローグ・ワンの面々が最終的にどうなるのかは最初から分かっているタイプの映画なんですよ。素晴らしい戦果と彼らを待つ結末。分かっていてそこに向かって収束していくこの感じがですね、バラバラの境遇から一つのチームにまとまっていった彼らの姿ともリンクして最高に好きです。父親デス・スターを開発した彼女の最後がああなるっていうのもまた大きな因果を感じてこう。

そしてラストのシーン、そこで! その人に! その台詞を言わせる!! っていう。彼らがまさしく命を賭して繋いだ希望、EP4を次に観たら全然見え方が変わりますし、観たくなる作品だと思いました。

しかしこうデス・スターなんであんな大きな弱点あるんだよという突っ込みどころに明確に物語上の理由を与えながら、帝国の研究所とか機密保管庫とか大事な拠点簡単に襲われすぎ! とか都合のいいところにスイッチありすぎ! みたいな(恐らく設定上の理屈はあるだろう)突っ込みどころをばら撒いていくのSTAR WARSだなあと。

甘々と稲妻 8 / 雨隠ギド

  

 みんな悩んで大きくなるんだなあと。進路に悩む高3の小鳥もそうですが、小学校で新しい世界に触れて、今まででは考えなかったようなことで悩んでいくつむぎが本当にね……尊いですね……。おとさんにそういう隠し事するようになるのかあとか、運動会のリレーで見せる成長した姿とか、本当に。毎度思うのですが、この巻も素晴らしかったです。

それから、つむぎが友だちに

おとさんのごはんおいしーんだーーーー!!」

と自慢するところ、1巻の頃から読んでいるともうね、泣きますよね。良かったねおとさんって。

あとさりげないフォローのできるミキオくんマジカッコいいと思います。つむぎの失敗のところもそうですが、リレーのシーンも。

1518! イチゴーイチハチ! 3 / 相田裕

 

 何か特別大きなイベントがあったり、文化系だけど熱い競技だったり、生徒会と言いながら主にお茶してたりとか、そういうのでなくて本当に普通に生徒会活動をしていて、それは例えば烏谷の生きてきた野球の世界からすれば恐ろしく地味なはずなのです。でも、総会の準備をしたり会計の取りまとめをしたりしているその活動が本当に青春していて、それを通じて挫折から何もなくなってしまった烏谷が意味と目標を見つけていく、その日陰かもしれない場所で語られる再生の物語が大好きです。いい話だなあと。

あと三春先輩がヤバくないですか、東先輩との生徒会に入った時のエピソード、こんな誘われ方したらまず間違いなく惚れるでしょ……。

やがて君になる 3 / 仲谷鳰

 

やがて君になる(3) (電撃コミックスNEXT)

やがて君になる(3) (電撃コミックスNEXT)

 

 1巻を読んだときは「ヤバい」って言っていて、2巻を読んだときは「やばいやばいやばい」と言っていたのですが、3巻を読んでるときは「……っ」って声を失って悶えてましたよね。いやなんかもうちょっとこれさあ。

侑がそういうふうに変わっていくの……分かってたけど! 分かってたけど! みたいな。どちらが優位なのかで語れなくなってきた二人の関係がもう。

これまでは、さらっとした流れの中で鋭く刺しに来るみたいなイメージの作品だったのですが、もうここに至っては常に致命傷を与えてくる感じ。読み進めるごとにフィニッシュブローですよこれ。とにかく読んでとしか言えないシリーズです。ちゃんと身構えて読まないとやられますよ。

この世界の片隅に


映画『この世界の片隅に』予告編

なんかめっちゃ生きてた。戦争のあった時代の広島、呉という場所で、すずという人がめっちゃ生きていた。見ている間も見終わった後も、一つの物語を見たというよりも、ある人の話を深く聞いてきたみたいな感覚になる映画でした。
たぶん、よく言われている時代考証の綿密さだとかその他色々なこだわりがそれをもたらしているのだと思いますが、とにかくこんなに生活があった、生きてたと感じられる映画はなかなかないように思います。あまりにも一つの人生だったという感じが強くて、色々見ていて思うところはあったものの、あの時代あの場所を生きぬいた人の生活に私がごちゃごちゃ何かを言っちゃいけないでしょうと思わされる、それくらいのものがあった。
あと、のんのすずがもうはまり役だったとか演技が良かったとかそういう次元を超えて、これ本人だわ……としか言いようのないレベルで凄かったです。すずさんはほわっとしていて「あー」とか「えー」とかよく言うのですが、これがもう誰かが演じているというよりも、すずさんからはすずさんの声がするに決まってるじゃん、みたいな。あの生きてる感をもたらしているのは、この声も大きな要因だったのだろうなあと。
何が悪いとか何が良いとか、誰が良い人で誰が悪い人だとか、ドラマ性を強調したりだとかそういうものではなくて、ああいう時代にああいう生き方をしていた人がいたんだという映画。あまりに確固とした生活がそこにあったから、他人事というと言い方が悪いですが、境界がしっかりある感じ。でも、しっかりした輪郭があって、それが今にも通じるものと通じないものが綯い交ぜになっているから、今見ているすずさんの生活のスクリーンのこっち側にある、自分の生活ってどうなのっていうのを考えさせられるような作品でした。
とはいっても真面目に生きようとか正しく生きようとか、あるいは昔は良かったとか戦争は良くないとか、そういう大層なことは思わないのですが、なんというか、ちゃんと生きなくちゃと思います。いい加減でも良いけれど、安くしちゃいけないなと。