島村卯月とシンデレラの魔法

シンデレラガールズの7話、素晴らしかったのですが、終わってからもうずっと気になっているのは未央でも武内Pでも凛でもなく、島村卯月という人はどういうキャラクターなのだろうということなのです。私は元々卯月Pではないし、そこまで好きなキャラだというわけでもなかったのですが、武内Pがお見舞いに来たところでの卯月と武内Pの会話を聞いて、え、あれ、この子ちょっと怖くない……? と思って、それからずっと。
もちろん今の段階で何をどう考えてもそれは詮無いことなのですが、6話までの流れで細かい伏線やサインを拾っていくとちゃんと先に起きることに繋がっているんだということを示されてしまったので、どうしても考えてしまうという掌の上で転がされている感じなのですが。
そんな感じに今のところアニメを見ていて感じた島村卯月について妄想をつらつらと。

「ブレなすぎる」ことへの違和感

まず、あれこの子ちょっと違う? と思ったのが、先に書いたお見舞いのシーン。
未央や凛を中心にドラマが進んでいる中で、風邪でダウンした卯月が次は何がしたいかと武内Pに問われて語ったのは「次はテレビに出たい」という夢。それ自体は良いのです。真っ直ぐで、前向きで、いつでも笑顔の島村さんです。今はちょっと失敗してしまったけど、そう考えるだろうというのは分かる。でも、ニュージェネレーションズがあの状況に陥っている最中に、パッと出てくる答えがこれっていうのは何か妙な気がして。
ただ、そう考えてみると、島村卯月というキャラクターは登場した時からずっとそうだったように思います。
ガンバリマスロボ、ポジティブモンスター。いつでも前向きにアイドルを夢見ているごく普通の女の子。それがどこから来ているのかと思うと、多分、この子は周りが見えてない。見えてないというが語弊はあって、何かが起きれば悲しむし困惑もするし、何より心配する優しさがある。だから見えているのだとは思います。けれど、決して自分をそれ以上に晒さない、相手のことにも深入りをしない様に見えるのです。
今回の流れの中でも卯月は、
ミニライブでいっぱいいっぱいになって自分しか見えていない→二人の様子がおかしいステージで戸惑ってミスをする→辞めると言い出した未央のことをとても心配する→無理がたたって風を引いてダウンする→お見舞いに来たプロデューサーに夢を語る→未央たちが戻ってきたことが嬉しくて感極まる
という反応をしているように見えて、確かに自分が見えていることに対しては素直に反応しているのだけど、そこで未央、凛、武内Pの間にあったすれ違いや感情については、気がついていないのか、無頓着なのか、あまり踏み込んでいるようには見えない。だからこその「未央ちゃん今日は来ますよね」。そして今回の話の中心には、ストレートな感情をぶつける凛とは違って、卯月は絡んでこない。
7話の最後に言われていたようにここまでの島村卯月は「ブレない」です。だって、登場した時から変わっていない。そんな卯月の真っ直ぐさにあてられて変わり始めるのが、1話の凛であって、7話の武内Pであって、卯月の方は変わらないまま、プロデューサーに連れられて新しい世界へ踏み出した。


島村卯月という「天使」

それは島村卯月の強さなのだと思います。養成所でたった一人になっても前向きさを失わずに練習し続けて、オーディションを受け続けてきた。その裏にどれだけの数の「○○ちゃん今日は来ますよね」があったのか。
それでも諦めることがなかった、それは一つの素質ではあって、でもそういう環境が島村卯月のパーソナリティを作っていった面もあると思うのです。そして、その環境を生き抜いてきたのは、彼女が「何も考えてないから」だとか「冷たいから」だと見えるようには決して描かれていない。
今回の島村さんに対する感想で「天使」という表現をよく見かけます。まさにその通りだと思います。
そして人が天使であるのならば、天使たらしめた何かがあるはず。だって、これだけ等身大に女の子を描こうとしているアニメで天使になれるのであれば、そこには相応の狂気がなければおかしいと思うのです。
卯月のそれが、自分を晒さないこと、相手に深入りをしないこと、なんじゃないかなと思っています。
だってあんな良い子が、真正面からこういう出来事を受け止め続けていたら、きっと何処かで無理が出る。だからどこかで無意識に線を引いた。それ故に他人から見た卯月はブレない。この状況でもあの反応が返ってくる。だからこその「天使」。同じ場所にいるようで、立っているレイヤーが、他の子たちとは違う。


それは紛う方なき強さであって、けれど悲しい強さなんじゃないかと思うのです。だって、そう考えると、島村卯月はいつでも本質的には自分一人でいるということになるから。
いくつか、悪い想像をします。

例えば、シンデレラプロジェクトのメンバーが挫折して一人また一人と去って行くことになっても、卯月だけは最後までその場所で夢を見続けているのではないか、一人笑顔で、前向きに。
例えば、そうやって憧れに向かって前向きにやってきた卯月が、どこかで壁に当たって目標を見失った時、周りからの言葉さえ「頑張ります」で無意識にシャットアウトしてしまうのではないか。
例えば、リーダーになった時に自分がそうであるのと同じように考えてると他のメンバーを誤解して、こじらせてしまうのではないか。(だから、今回のリーダーは卯月ではないのだと思いますが)


私が最初に感じた違和感の正体。
きっと私は、そんな島村卯月は見たくないのだろうと。


シンデレラの魔法

アニメのアイドルマスターで描かれた765プロは絆と居場所、それこそ擬似家族的な、の物語だったと思います。それが如月千早を絶望から救い出して、天海春香というアイドルが天海春香であることを許させた。
シンデレラプロジェクトにも、そういうものになって欲しいというのがやっぱりどこかにあって。
OP主題歌「Star!!」の歌詞を見ていると、Cメロの部分でこういうくだりがあります。

「私 思い込んでいた 微笑みは交わすけれど 泣く時には一人きりだって」

もちろん解釈は様々だと思うのですが、私はこれを聞いて、卯月のことなんじゃないかなと思いました。
そしてこの歌詞はこう続きます。

「だけど今は知ってるよ 涙流すときも キミとキミと一緒 それがキヅナ 私の背中 押している魔法」

Twitterで、「Star!!」のジャケットの時計が23時57分2秒を示していることを指摘しているツイートがあって、これがCDを再生してからどこの部分で24時を迎えることを指すかというと、ちょうど上の2つの歌詞の間になっていました。
穿ち過ぎだとは重々承知ですが、今回の話で武内Pにシンデレラをお城に運ぶだけの車輪にしてしまう魔法がかけられていたという表現があったこと。そしてこの作品が時計というモチーフを非常に重く扱っていることを合わせて考えた時に、このシンデレラプロジェクトの曲の中で、24時に一体何の魔法が解けて、そしてどんな新しい魔法がかけられたのかと、思わず考えてしまうのです。


そういう話がこれから先にあるのか無いのかはわかりませんし、ここまで書いたこともだいたい私の妄想ではありますが。ただ、私が見たいのはきっとそれなのだろうと思います。
メンバーたちの存在が、卯月を一人違う場所に立たせていた天使の魔法をといて、彼女にキヅナという新しい魔法をかけてくれること。言い方は悪くなりますが、天使をもう一度地上に引きずり落とすような、そんなお伽話。


その時に『シンデレラプロジェクトのセンター』島村卯月の笑顔が見られることを願って。