キッズファイヤー・ドットコム / 海猫沢めろん

 

キッズファイヤー・ドットコム

キッズファイヤー・ドットコム

 

 試される小説だな、と思います。

それが当たり前に思っていたことのどこまでが先入観なのかとか、じゃあ一体何が正しいのかだとか、あると信じていたものが本当にあるのかとか。ホストたちの炎上子育てを笑おうとすると、スコッと自分の足元が抜けるような。

カリスマホストの白鳥神威の圧倒的な自分への自信に基づいた過剰なまでのポジティブさ、全ての苦境を成長への機会と捉え後ろを振り返らないスタンス、女性たちの心を掴み先を読むコミュ力、そしてウェーイと突き進むノリと勢い。

「言葉の意味より大切なもの。それはフィーリングだ」「ホストの本能は無限の量子的パワーさえ秘めている」「ブロックチェーンを利用した新たなる通貨「Wei(ウェーイ)」」のようなパワーワードが乱発され、神威以外のホストたちもギャグすれすれの圧倒的な個性を発揮。そんな夜の歌舞伎町に生きドン・キホーテで全てを調達する彼らの世界に現れたのは赤ちゃん。全くの別世界の生きもの。

自分の家の前に手紙と共に捨てられていたその赤ん坊を、持ち前の前向きさとホストとしての矜持と筋の通し方で育てることにした神威ですが、怒涛のようなワンオペ育児にひたすら翻弄され、店に連れていけば夢を見る空間を求めていた女たちの足は遠のく。そして落ち詰められた彼が、それでも前向きに繰り出した一手が育児のクラウドファウンディング。KIDS-FIRE.COM。

赤ちゃんへの投資を募り、命名権や24時間の監視、進路決定権を分配する。アクセスが足りないと見るや炎上マーケティングに全振りし、燃え上がった所でテレビに出演するやり方も、子供の権利を切り売りするようなその内容も、正しくないように感じます。それはやっちゃダメなやつだろうと、おかしいだろうと。そしてそこに欺瞞があることは、やっている本人たちですら分かっている。でも、実際問題として神威にあのまま子供を育てる手があったのか。子供は親が育てるべき、愛があるならできるはずという精神論が、いったい追い詰められる親に何をしてくれたのか。

そう思った時に、子育てとは縁遠い世界にいる私が当たり前だと思っているものが、果たしてどうやって形作られたものなのか、どこにバイアスがかかっているのか、ふと分からなくなるのです。愛が分からないという神威だから、子育てに必要なコストと、返せるリターンを結びつけて、単純にそれを社会に求めた。彼はその道を邁進して、その結果が語られる近未来SFのかたちをした続編、キャッチャー・イン・ザ・トゥルースでも、やっぱり何が正しかったのかは良く分かりません。彼が推し進めたことは、育児をする親の環境を整えるだけのことで、それはたくさんの矛盾を孕み、またそれによって追い詰められた人がいて、救われた人もいるはずで。

「愛なしで子供を育てることができたら、それは世間でいう薄っぺらな愛情より素晴らしいものになるのかな」

「それはたぶん愛と見分けがつかない」

神威たちのやろうとしたことは、作中のこの台詞に語られていることなのだと思います。それができる道具が現代にはあって、そうならざるを得ない背景も現代にはあった。でもやっぱり、それはおかしいと思ってしまう自分がいて、それは先入観がもたらすものではと思う自分もいる。

当事者ではない私は世の中の当たり前を無邪気に信じていて、思っていた以上に何も分かってはいないんだということを、ひとまず胸に留めていたいなというのが、このひとつの未来予想図のような作品を読んで今考えられることの全部かなと、そう思いました。