小さな魔女と空飛ぶ狐 / 南井大介

小さな魔女と空飛ぶ狐 (電撃文庫)

小さな魔女と空飛ぶ狐 (電撃文庫)

20世紀初頭のヨーロッパをモデルにしたと思われる世界で、ある小国の内戦を背景に、内戦解決の切り札とされる少女科学者と、狐と呼ばれる夜戦のエースパイロットの織り成す御伽話。これはとても好みな物語でした。
闘うことの意味を失い、早く戦場から退きたいと願うも、その優秀さ故にそこを離れられなかった青年クラウゼに課せられた任務は、天才科学者であり子供っぽい性格のわがまま娘でもある少女アンナリーサの補佐。そして行われるのは、天才的な頭脳を持った彼女による戦争を終わらせられるような兵器開発。
小国の内戦に近隣の強国が国益を賭けて介入し、二つの勢力をそれぞれに支援する。そんな悲惨な、しかしありふれた争いの最前線で、描かれるのは人が当たり前に死んでいく凄惨な光景。それとコントラストを成すように、アンナリーサの兵器開発は、それ自体が間接的な人殺しであるという実感の無い、どこかとぼけた空気を持ったものとして描かれます。過去の出来事から気狂いとなった敵国の天才科学者アジャンクールが、ある理由から兵器開発に乗り出し、アンナリーサと競うように新型兵器の開発合戦が始まる辺りは、面白いのですがそのノリはどこまでも軽く、子どもが意地の張り合いをしているよう。
絵を描く科学者と実際に形にする技術者の対立があったりするのも、間に挟まれたクラウゼが頭をかかえるのも面白いですし、強力な兵器であっても、コストと維持運用の面から実稼動に耐えないというのもオチが付いたような感じ。圧倒的な知性と歳以上に幼い精神を併せ持つアンナリーサにクラウゼがほとほと手を焼いたり、情緒不安定ながらどこかとぼけた愛嬌もある気狂い賢者アジャンクールに、彼の補佐をする生真面目なエマが振り回されたりする様はユーモラスと言っても良いくらいです。
でも、そんな冷たい空気と柔らかい空気は、各国首都での犯人不明の大規模テロにアンナリーサがそれぞれ巻き込まれたことで交錯します。テロという現場で死の恐怖を感じたことで、自分が今までつくってきたものの意味、それを知識ではない経験としてして知ってしまったアンナリーサ。その意味が分かるだけの知性がある故に精神的に追い詰められ、逃げ出した彼女にクラウゼのとった行動、そして彼女がたどり着いた結論。そして、そこから描かれるのは、覚悟の物語なのだと思いました。
戦争は決してなくならないということ。国益と面子と政治的判断で動く大国。そこから下される指令に理不尽であろうと従う軍人。戦争は技術発展の場でもあり、兵器開発に駆り出される科学者たち。そういう個人の感情とは別次元の大きな動きと、悲惨で無惨な闘いの場、積み重なっていく怨嗟と復讐の炎、あっけないまでの軽さで失われて、けれど特別な意味を持った命。さらに残酷であっても感じてしまう空戦の美しさ、たとえ兵器であっても技術開発への純粋な興味、命をかけて闘うパイロットたちの意地。
そういった全てのものを前にして、ペシミズムやシニシズムに沈むのではなく、それに向きあうこと。自らの生まれを、自らに課せられた運命を、自らを支え、苦しめ、そして自らの全てであるその飛び抜けた知性を、この世界に向けてどう使ってどう生きるのか。それがもたらす痛みもすべて引き受けて、アンナリーサは魔女として生きることを覚悟します。そしてそんな彼女と関わる中で、戦いを避けていたクラウゼも、自分が行なってきたことに向き合い、そしてこれからその才能を持って行うことを選び、その覚悟をする。決してなくならない争いの中で、ままならない世界の中で、特別な才を持って生まれた者がその生き方を問われる、これはそういう物語なのだと思いました。
そういう意味でも、リアルに描かれる戦争の在り方や繰り広げられる技術の話、そして空戦のシーンといったものはあっても、それはあくまでもキャラクターが織り成すこの物語を支えるものなのかなと。だからこれは、落ち着いた雰囲気ながらどこかユーモアを忘れない文章や、キャラクターたちのやりとり、そして作品の雰囲気に見事にマッチしたイラストも含めて、思わず大切にしたくなるような、小さな魔女と空飛ぶ狐の織り成す素敵な御伽話だったと思うのです。