Nein / Sound Horizon

まずリードトラックのタイトルが『檻の中の箱庭』だった時点で「これはあかん」とローランたちを戦慄させた約1キロの立方体こと第九の地平線がついに世に解き放たれたわけですが、まず初めに聞いた時の衝撃たるやね。
いや、分かってた。分かってはいたんですよ。みゃおみゃお言っている猫サイバーなリードトラックで歌われているんですよ。これまでの地平線に対して幸福な結末に至る可能性を探そうって。
だから通常版のジャケットが隠されてたのもああそういうことかと思ったし、これはもしかしたら1stから聞き直さないといけないんじゃないかとも思ってたんですが。いや、本当に来るとちょっとこれがね。まず何やってんの!? って思った後に安らかに死亡するよね、って。
まさしく10周年記念らしい記念作。ヴァニスタの頃にやたらと「間口を広げる」と陛下が言っていたのが、まさか広げた間口から入ってきた人々に半年の猶予を与えた上で、サンホラ全作品知っていること前提の地平線を投げつけてくるための伏線だったとは。やたらと物語音楽の「解釈」の自由について語っていたのが伏線だったとは。
という訳で第九の地平線はなんでもござれの「公式二次創作」。しかも超本気。自我を持った未来のグラサンこと便宜上R.E.V.O.が箱のなかでそれぞれの地平線をNeinすることで生まれるifの物語。公式がそれをやっちゃうの!? なんてのは序の口。新キャラ新設定いくらでも。キャラ崩壊じゃないのこれってのもいくらでも。解釈の自由ってここまで含めてだったのか……とポカーンとなります。
いやしかしですね、これが良いんですよ。「Nein」された彼女たちの物語はずいぶんとはっちゃけ具合の高い物語になっているのですが、美しい悲劇の色濃い元ネタに対して、皆強かに生きること生きること。テーマ的には母と失われた子、迫害されるもの、残酷に迫る運命といったところは残したまま、彼女たちはそれでも彼女たちらしく生きる。幸せと不幸に翻弄され落ちては上がってを繰り返しながら。それが本当に良いと思いました。
その代表みたいな曲が『憎しみを花束に代えて』。あの『StarDust』の子が彼を撃たなかったifなのですが、そこから運命的に出会った初老のデザイナーに見初められモデルとなって、彼といい感じになりながらビアンであることをカミングアウトして、初めはバトルを繰り広げた先輩モデル(彼をかすめ取った!)に恋したりふられたりしながら、あなたの生は無意味じゃない! と児童福祉団体への援助の仕組みを作るという、ちょっとお前何いってんの? という話。ですが、Fukiさんの力強い歌声と相まって、憎しみも苦しみも哀しみも花束に代えて私は私を生きる! という叫びがカッコ良いのですよ。あと、スタダのあのサビメロが来た瞬間のうおおおおおおお! って感じはもう仕方ない。仕方ないんだ……。
他の曲もまあそんな感じで凄いのでちょっとサンホラをかじった事がある人は是非。死に行く運命に背を向けて、ひたすら兄を生存ルートへと引っ張って倫理すら振り切ってイチャイチャし続けるミーシャとか、お前なんてもんを公式でぶん投げてくんねんって思いますよ、ほんと。

そして物語を貫くのは「西洋骨董屋根裏堂」という店にヴァニスタのノエルが迷いこんで便宜上R.E.V.O.に出会うという話。この店に何故それぞれの地平線ゆかりの物品が集まってるのかとか、13人目の客ってどういうこととか、店主がどう考えてもミシェルですよねとか、そもそもここはどの地平線なの? とか考え出せばきりがないのですが、ここはひとまずノエル的に「俺はバカだからわかんねーけど」と言いながら、熱く最後の最後で彼らの人生を勝手に不幸だとNeinするなと叫んでおけばいんじゃないでしょうか。
まあ、便宜上R.E.V.O.がどの地平線由来なのか、まだ見ぬ第八の地平線周りの怪しさだとか、例の文字列だとか、みたいな謎が謎を重層的に呼びすぎて考えると深みにはまっていくわけですが。深淵を覗きこんだら深淵が襲いかかってきた……みたいなことに。


ちなみに、歌詞カードのあとがき? みたいなところに、解釈は自由で第九は正解でもなんでもないからどんどん絵も文章も書こうな! (意訳)という、お前らかかってこい的メッセージが載せられていてもうほんともう! みたいな気持ちになりました。知ってたけどサンホラ沼は沈むのに覚悟がいる……。


【ライブレポート】Sound Horizon、物語を具現化する<9th Story Concert『Nein』>開幕 | Sound Horizon | BARKS音楽ニュース
さて、Story Concertも始まって東京公演二日目に行ってきたのですが、これが素晴らしかったです。こんなもの演ったらこの後どうするの? と思ったメルコンの全体としてのコンセプトを踏まえた完成度、みたいなものとはまた別の方向で、一曲一曲の完成度は更に上がっていてはあああってなりますし、何より音源だけでローランがバタバタ死んでいくCDがですよ、コンサートでやられたらそれはもう大変なことですよ。
まあ小さいところから大きなところまで悲鳴が上がる上がる。曲間にはあちこちから鼻をすする音が聞こえてくるという。斯く言う私もかなり最初の方からめっちゃ泣いていましたが。そして最後のローランによる国歌斉唱まで、作品のコンセプトもあってかいつにもまして宗教儀式の度合いが高いコンサートでした。いやほんと良かった……。良かった………。