正解するマド / 乙野四方字

 

正解するマド (ハヤカワ文庫JA)

正解するマド (ハヤカワ文庫JA)

 

 「正解するカド」の文字媒体変換として完璧、完璧です。

ここにはアニメと同じシーンは1つも描かれていないし、内容的にはスピンオフなのですが、でもその作品を正しく小説にすることをそう呼ぶのであれば、これは最高のノベライズだったと思います。

正解するカド」のノベライズを引き受けた野崎まど大好き作家の乙野四方字が、あまりに書けなくて別件で原稿を抱えている講談社タイガ編集部に締切を延ばしてほしいと懇願するメールを出すところから始まってかっ飛ばしてんな! と思ったのですが、これはまだ序の口。精神を病みつつあった彼の前に現れたのはヤハクィザシュニナ、果たしてザシュニナは幻覚か本物か……みたいに展開される私小説が続いて、正解するマドとは? と思いますが、大丈夫これは正解するカドのノベライズです。

ワム、サンサ、ナノミスハインとアニメおなじみの異方道具が取り出され、やがて明らかになる真実は、だんだんそんな気がして来たけどさあ……これさあ……やりやがった! ばっっかじゃねえの! と。諸々確認して再びばっっかじゃねえの!! と。そして、全てが収束していくクライマックス。タイトルの意味。ああ、これは紛れもなく「正解するカド」を小説で表現したものだったのだなと。完璧です。正解です。

正解するカドというアニメはファーストコンタクトもののようで、創造者のレイヤと被創造者のレイヤが変換されて接触する物語だったと思うのですが、それをノベライズしたら確かにこうなりますねという。序盤から私小説というか、メタフィクション風味だった時点でなんかそんな予感もありましたが、ここまでゴリゴリにやりながら野崎まど的な飛躍も詰め込んできたら完敗です。アニメでいまいち印象の薄かったナノミスハインがまさかこんな最高の使われ方をするなんてというかふざけんなお前、みたいな。

そんな感じで個人的には面白い面白くないを超越して最高の作品でした。とはいえ、野崎まど大好き作家がカド全話視聴した野崎まど大好き読者のために仕立て上げた一作という、極めて狭いターゲットに向けたものであることは否定できず、でもこの楽しさをもっと誰かと共有したいので読んで欲しいというジレンマ。とりあえずカドを見ていた人は是非読んで、みんなで一緒に異方存在になろう!

アイドルマスターシンデレラガールズ WILD WIND GIRL 03 / バンダイナムコエンターテインメント・迫ミサキ

 

 デレマスの物語はニュージェネ中心だったアニメや、今連載中のところだとちびっこ組のU149などがあります。どれも基本的には挫折と成長の物語で、やっていることはアイドル活動なのでその中身も結構似たようなものになるのですが、ただ主役に据えられるキャラクターとPの性質でここまで味わいが変わるというのは、伊達に180くらいのキャラを揃えていないなあと改めて思いました。

そんな感じで元暴走族特攻隊長向井拓海のアイドル物語は、CDデビューという新たなステップへ。気合上等なヤンキースタイルがアイドルの世界に何故か最高にマッチしているのが面白いです。まあ、相変わらず警察のご厄介になったりしていますが。

そしてりなぽよと拓海の関係も新しいステージに入って、ノーティギャルズ結成と原作ゲーム設定を踏まえてきていて、じゃあここから雷舞上等に繋がっていくのかとか、この先の未来に炎陣があるんじゃないかとか、そういう期待が高まります。

ところでデレ5thライブツアー静岡を見る前にこれを読んだら、拓海(原優子)の純情midnight伝説でめっちゃグッと来るものがあって、そういう相乗効果があるの、とても良いなあと思いました。アイマスは沼。

虚構推理 6 / 城平京・片瀬茶柴

 

虚構推理(6) (月刊少年マガジンコミックス)

虚構推理(6) (月刊少年マガジンコミックス)

 

 虚構推理のコミカライズと聞いて一番最初にマジかよ……と思ったのがまさにこのクライマックスののシーンで、嘘を嘘でもって無に返すため、ひたすら文字情報を畳み掛けていく盛り上がりをマンガという媒体でどうするんだと思ったところだったのですが、流石でしたね……。いや、最高のコミカライズでした……。良かった……。ありがとう。

多くの人が信じたものが都市伝説だったり、神話だったりとして形をなし、それが実際に力振るう。そこに真実は不在となるか、あるいは必要とされない。その枠組自体は大昔からあったもので、だからこの作品も伝奇の色合いがあって、でもそれをネット時代と結びつけて6年前にこういう形で物語にしたのはやっぱり新しかったなあと思います。Twitterで面白いから、都合が良いからとソースもないまま拡散されていく情報が、いつの間にか真実のような顔をして力を振るい害をなすなんて、今いくらでも観測できることですし、この鋼人七瀬はまとめサイトを舞台にまさにそういう構造で描かれた事件でありますし。

そしてコミカライズが人気になったのか、原作は終わってもこのまま続きが出るということで、ほんとうにもう感謝しかないですよねマガジン編集部さんには。カッコよくて可愛くてちょっとゲスいおひいさまの活躍をまだこれからも見れる、そして城平京に新作小説を書かせることができる……ありがとう講談社、フォーエバー講談社、ついでにアニメ化もお願いできないか講談社。期待して待っています。

じごくゆきっ / 桜庭一樹

 

じごくゆきっ

じごくゆきっ

 

 ああ、桜庭一樹凄い……と改めて感じました。母と娘、父と娘、田舎町、少女。桜庭一樹をぎゅぎゅっと濃縮したような7つのお話からなる短編集。一気に読むと息が詰まる用な、まさに真骨頂という作品だと思います。

読んでいると、話の構造がだとか設定がだとか、そういう部分はありつつも、何だか理屈じゃない力みたいなものを感じます。表面上は、よくある出来事のようなことが起こっていると分かっていても、人物の視点を通した瞬間、なにか得体の知れないものになるような。心を持っていかれるような。少女を描く時は鮮烈で、もっと上の世代を描く時はもっとどろっとした、文章から立ち上がる呪力みたいなものがあって、これが桜庭作品の力で、私がずっと好きなものなんだなあと思いました。どこか神話的というか、大きな、掴めないものがうごめいていて、読むとそれにあてられるような。

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」の世界観で描かれた「暴君」「脂肪遊戯」はロリポップで世界と戦った、別の子供たちの物語。子供の世界。大人たち。生き残った彼女が、何と闘って、どうして脂肪を身にまとったのか。

それから記憶をテーマにした3つの作品「ビザール」「ロボトミー」「ゴッドレス」が強烈でした。「私の男」や「ファミリーポートレイト」と繋がるような、愛情だとか執着だとか、そういう本人にもコントロールされない囚われたものの形。歪んだ親からの愛情が、子供を歪ませて、また歪んだ関係が紡がれていくと言ってしまえば簡単なようで、そんな骨組みだけ取り出して片付けるものではないような。

中でも「ロボトミー」。もはや病的な母親の愛を浴びて育った娘と、親を知らずに育った青年の結婚関係、母親の生活への介入、破綻、そして記憶を失い繰り返すようになった娘との再会。特に病院での再会から先の全てのシーン。善意も悪意も、愛情も憎悪も、純粋さも醜さも、そこにあるあらゆるものが狂っているようで、どうしようもなく美しくも感じる、言葉にし難いけれど大変なものを読んだとだけ思う一作でした。本当にこれは凄かった。

腐男子先生!!!!! / 瀧ことは

 

腐男子先生!!!!! (ビーズログ文庫アリス)

腐男子先生!!!!! (ビーズログ文庫アリス)

 

 既視感のあるオタク話と先生×生徒なラブがマシンガンのごとく打ち出されるハイテンションオタクラブコメ。最高と最高をかけ合わせたら業が深くなった、みたいなやつでした。

ともあれ「神!!」「それな!!!」というおよそ教師と生徒とは思えない語彙力の会話を添えて声優、ライブ、応援上映、ソシャゲに即売会とどこかで見たようなどこかで聞いたような話がショートショートで積み重なっていくテンションの上がり方がヤバいです。常に150キロ超のストレートしかありませんと言わんばかりの何か。オタクハイな馴染みあるあの感じ。ほんとひどい、これはひどい、と思いつつも、何事にも全力なオタク最高に楽しいな!!! って気分になるので素晴らしいと思います。「課金してるんじゃない。課金させていただいているんだ」、胸に刻みたい日本語。

それはそうとしてラブ方面。イケメン教師が裏では腐男子で即売会の自分のスペースに来て神と崇められるようになりましたという、確かにラブだがそれはラブか? な感じでスタートするのですが、コメディの向こう側からいつでも間合いに踏み込んで斬りつけられますよ、みたいな感じがだんだん強まってきて、こう、軽そうなフリをしてちょっと底知れない感じが。オタク友達としての楽しい関係だとか、生徒と教師だからこその一線だとか、そういう安心安全ゾーンで意外と思考停止しないで、その上拗らせてるからすごい面倒くさそうだけど大丈夫か? 特に先生大丈夫か?? みたいな。

あと何というか、桐生先生見てると色々目を背けたくなる諸々がね、あるんですが、まああれが許されなくもないのは先生がイケメンだからよねというのは心に刻んて生きていたいと思いました。

嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 11 xxの彼方は愛 / 入間人間

 

「……一度壊れたものはどうやっても直らない。残骸を積み重ねて生きていくんだ」

 この言葉がこのお話の全てで、みーまーというシリーズの全てで、そして入間作品の根底に共通するものなんだと思います。そして私は、こういう取り返しのつかなくなった人たちが、取り返しがつかなくなった後を生きていく物語が好きなんだなと。

入間人間デビュー10周年記念作品はまさかのみーまー11巻。もともと10巻で完結した作品の続きということで、代替わりしてみーくんまーちゃんの子供(!)から先のお話になっているのですが、これもまた残骸を積み重ねて生きていく続きということで、完結したと言っても10巻であの二人のすべてが終わった訳ではないんだと思いました。取り返しがつかなくなった先にも、彼ら彼女らはこうやって生きて、繋いでいくんだって。

後は本当にもう何を言えばいいんですかね、これ。父親に似た姉様と母親に似た妹。本当は母親に似た姉と父親に似た妹。ああ、確かに彼らの子供なんだなと思う下の世代もまた、繰り返すかのように胸糞悪くなるばかりの事件の当事者となって、壊れて、そしてまた続いていく。入間人間らしい仕掛けの先に浮かび上がってくる真実は、ただただ最低としか言い様がなくて、それでも。

ラストシーン、ぶっ壊れた家族の一家大集合。許されない事件は許されるものではなく、壊れたものが都合よく直ることなどなく、けれど積み重ねた残骸の上にこの景色があるのなら、それはどんな苦味を噛み殺してでも、幸せと呼ばれなければいけないんじゃないかと思いました。だってこれは、それでも彼ら彼女らが生き続けてきたという事実そのものなのだから。

あとは、やっぱり当時のみーまーに滲んでいた切実な感じみたいなものは、この巻にはないかなあという気も。入間人間による昔の入間人間のエミュレート感というか。そのドライさがより一層、救われ無さを際立たせているようなところもあるのですが。

隻眼の少女 / 麻耶雄嵩

 

隻眼の少女 (文春文庫)

隻眼の少女 (文春文庫)

 

 麻耶雄嵩が月9になる世界線? 正気か??? と思っていたドラマ貴族探偵があまりにも面白くて、ストーリー設定トリック改変バリバリ入っているのに麻耶雄嵩みが溢れているところに、月9として間違っている気もしつつ毎週感動している今日この頃。思い立ったが吉日ということで積読の中から引っ張り出してきて読んだんですが麻耶雄嵩ほんっとうに麻耶雄嵩だな!!!

スガル様という旧い信仰の残る村の旧家を舞台に、二つの時代にまたがって描かれる連続殺人事件。その解決にあたる本作の探偵役が水干姿の隻眼毒舌ツンデレ美少女御陵みかげ17歳という、アニメでも盛り過ぎだぞ☆という設定を引き連れて登場する子なので、なんかそういうキャラが好きな人は読むといいんじゃないかなって。まあ、読み終えたあとの責任は一切取りませんが。うん、みかげ可愛いよ?

あとネタバレ無しで言えることとしたら、設定にも事件にも人物配置にも、繰り返しとシンメトリーのモチーフを配しながら細かいロジックを積み上げて、異形の大伽藍を構築する感じが作者らしいと思いました。そして最高にクールで悪趣味だなって! この読み終えて笑いながらテンションの上る感じ、他では中々味わえないものだと思います。楽しい!!

 

 

あとはネタバレありで。

 

 

で、本当の真実はどこにあるんですかね? というのが読み終えて最初の感想なんですがどうなのでしょう。何を読んだんだ? 何が正しかったんだ? 探偵とはなんだったんだ? みたいなのが押し寄せてくるこの感じ。

探偵が推理して、その世界において納得されれば、それは作中の真実として確定されるとして、それを逆手に取っているのがこの小説だと思います。2代目みかげの推理を、時を経て同じ構図が用意された中で、3代目みかげがひっくり返す。そこに辿り着くに当たって、不整合から真実を導く御陵みかげという探偵が、多くの手がかりから組み立てた真実は正しいように思える。思えるけど。

3代目の推理が本当の真実だっていうのがどうしても信用できないように書かれている気がするのです。ブラフだと推定されたものも含め、明らかに過剰な手がかりがばらまかれている中で、推理があまりにも恣意的で。どうとでも組み上がりそうな気配を漂わせている中で、犯人の自白の中で一部の手がかりについて「その不整合は偶然」みたいな事言われると、んん?? ってなりますし、2代目の事件の最後のトリック、流石にちょっと無理がない? とか。なによりそうやって探偵が確定させた過去の事件をひっくり返すものが新しい事件になっていて、ここまで執拗に繰り返しをモチーフに据えてきたのならば、これもそうなのではという疑念がどうしても消えません。じゃあ一体どういう真実がと言われるとノーアイデアではあるのですが、少なくとも信頼はできない探偵だよなあと。

というか、この探偵御陵みかげ、真実を明かすことが目的じゃないんだと思うのです。何もかも信頼できない中で、代替わりを重ねていく「御陵みかげ」が探偵であり続けること、これだけが確かな行動原理だったんじゃないかなと。「御陵みかげ」が語ることは絶対であり、絶対であるために「御陵みかげ」は行動する、そういうタイプの探偵で、多分そこに本当の真実なんてものがあったとしてもあんまり関係ない。

この作品の持つ対比構造の大きなものが、母から娘に受け継がれていく土着信仰であるスガル様信仰と、母から娘に受け継がれていく探偵御陵みかげの対比で、こういう設定でありがちなのは信仰の方に狂気が生まれて殺陣事件が起きるというパターンだと思います。でも、この作品の場合完全に逆転しているというか、御陵みかげこそが狂気を孕んだ探偵信仰とでも呼べる何かだったのではないかなと。代替わりを経て薄まっていくスガル様信仰の合わせ鏡のように、御陵みかげも3代目でずっと普通の女の子になったようでいて、本当にこれ薄まっているのかな……? 騙されてないかな……? みたいな。いやほんと、探偵になるって概念というか装置と言うか、何かもう人間ではなくなるってことなんだなって……。呪いかよ。

そんなことを感じつつも、作中に語られるのは見かけ上は最高にハートウォーミングなハッピーエンドで、けれどあまりにもわざとらしいそれに余りあるほどの悪意を感じる、大変にホラーなエピローグとなっておりました。うん、楽しい麻耶雄嵩でした。