隻眼の少女 / 麻耶雄嵩

 

隻眼の少女 (文春文庫)

隻眼の少女 (文春文庫)

 

 麻耶雄嵩が月9になる世界線? 正気か??? と思っていたドラマ貴族探偵があまりにも面白くて、ストーリー設定トリック改変バリバリ入っているのに麻耶雄嵩みが溢れているところに、月9として間違っている気もしつつ毎週感動している今日この頃。思い立ったが吉日ということで積読の中から引っ張り出してきて読んだんですが麻耶雄嵩ほんっとうに麻耶雄嵩だな!!!

スガル様という旧い信仰の残る村の旧家を舞台に、二つの時代にまたがって描かれる連続殺人事件。その解決にあたる本作の探偵役が水干姿の隻眼毒舌ツンデレ美少女御陵みかげ17歳という、アニメでも盛り過ぎだぞ☆という設定を引き連れて登場する子なので、なんかそういうキャラが好きな人は読むといいんじゃないかなって。まあ、読み終えたあとの責任は一切取りませんが。うん、みかげ可愛いよ?

あとネタバレ無しで言えることとしたら、設定にも事件にも人物配置にも、繰り返しとシンメトリーのモチーフを配しながら細かいロジックを積み上げて、異形の大伽藍を構築する感じが作者らしいと思いました。そして最高にクールで悪趣味だなって! この読み終えて笑いながらテンションの上る感じ、他では中々味わえないものだと思います。楽しい!!

 

 

あとはネタバレありで。

 

 

で、本当の真実はどこにあるんですかね? というのが読み終えて最初の感想なんですがどうなのでしょう。何を読んだんだ? 何が正しかったんだ? 探偵とはなんだったんだ? みたいなのが押し寄せてくるこの感じ。

探偵が推理して、その世界において納得されれば、それは作中の真実として確定されるとして、それを逆手に取っているのがこの小説だと思います。2代目みかげの推理を、時を経て同じ構図が用意された中で、3代目みかげがひっくり返す。そこに辿り着くに当たって、不整合から真実を導く御陵みかげという探偵が、多くの手がかりから組み立てた真実は正しいように思える。思えるけど。

3代目の推理が本当の真実だっていうのがどうしても信用できないように書かれている気がするのです。ブラフだと推定されたものも含め、明らかに過剰な手がかりがばらまかれている中で、推理があまりにも恣意的で。どうとでも組み上がりそうな気配を漂わせている中で、犯人の自白の中で一部の手がかりについて「その不整合は偶然」みたいな事言われると、んん?? ってなりますし、2代目の事件の最後のトリック、流石にちょっと無理がない? とか。なによりそうやって探偵が確定させた過去の事件をひっくり返すものが新しい事件になっていて、ここまで執拗に繰り返しをモチーフに据えてきたのならば、これもそうなのではという疑念がどうしても消えません。じゃあ一体どういう真実がと言われるとノーアイデアではあるのですが、少なくとも信頼はできない探偵だよなあと。

というか、この探偵御陵みかげ、真実を明かすことが目的じゃないんだと思うのです。何もかも信頼できない中で、代替わりを重ねていく「御陵みかげ」が探偵であり続けること、これだけが確かな行動原理だったんじゃないかなと。「御陵みかげ」が語ることは絶対であり、絶対であるために「御陵みかげ」は行動する、そういうタイプの探偵で、多分そこに本当の真実なんてものがあったとしてもあんまり関係ない。

この作品の持つ対比構造の大きなものが、母から娘に受け継がれていく土着信仰であるスガル様信仰と、母から娘に受け継がれていく探偵御陵みかげの対比で、こういう設定でありがちなのは信仰の方に狂気が生まれて殺陣事件が起きるというパターンだと思います。でも、この作品の場合完全に逆転しているというか、御陵みかげこそが狂気を孕んだ探偵信仰とでも呼べる何かだったのではないかなと。代替わりを経て薄まっていくスガル様信仰の合わせ鏡のように、御陵みかげも3代目でずっと普通の女の子になったようでいて、本当にこれ薄まっているのかな……? 騙されてないかな……? みたいな。いやほんと、探偵になるって概念というか装置と言うか、何かもう人間ではなくなるってことなんだなって……。呪いかよ。

そんなことを感じつつも、作中に語られるのは見かけ上は最高にハートウォーミングなハッピーエンドで、けれどあまりにもわざとらしいそれに余りあるほどの悪意を感じる、大変にホラーなエピローグとなっておりました。うん、楽しい麻耶雄嵩でした。