BanG Dream! 4th☆LIVE Miracle PARTY 2017! at 日本武道館 8/21

 

 終盤の「前へススメ!」から「夢見るSunflower」の流れ、ちょうどメンバーの並びをセンターステージ逆側から見る形になって、ずっと大橋彩香がドラム叩いている背中が見えていたんです。

武道館のステージで照明を浴びながら、最初聞いた時にこれ大丈夫なのって思った難易度の曲を、全力で叩いている推しの背中、眩しかったです。尊さとか、頼もしさとか、そういうのが綯い交ぜになって、ただ眩しかった。ああ、私今日はこれを見に来たんだって。

センターステージで自席が北アリーナだったからこそ見れた、普通は見れない光景だったのですが、ちょっと今までに味わったことのない感慨があったし、多分ずっと忘れないなと思います。

そんな感じだったポピパ武道館。いや、センターステージ構成で1万人以上の座席作って、平日の武道館が埋まるんですね……。アニメはちょっとどうなのって思うところもあり、ガルパが大ヒットをしてるのは知っていたのは分かっていたのですが、この人気はちょっとびっくりしました。センターステージの構成もあの景色はすごく良かった……ですがその分音響がちょっと酷かったので、早くちゃんと調整した映像で聞きたいなとも。

個人的にはバンドリというコンテンツよりも、ガールズバンドとしてのポピパが好きなので、途中途中の演出やソロよりももっとフルバンドでの曲数をやってほしいというのはあるのですが、練習の都合とかを考えると難しいのだろうと思うところはあり。でもやっぱり、上で書いた二曲をはじめとして、声優ガールズバンドとしてのポピパは魅力的だと思います。冒頭の「ときめきエクスペリエンス」から、武道館のステージに負けずに堂々と演奏をしていて、正直ちょっとびっくりしました。メジャー1stから見てる私でも、あれまあこんなに立派になって……と思ったので、最初から見ていた人たちは本当に感慨深かったんじゃないかと。

そしてこの蹴り出した当初はどうなるのか分からなかったような企画の先頭に立ち続けてきた愛美の最後のMCでの涙は、ちょっとやっぱりグッと来るものが。青春というか、人生かけてやってきた人の姿だったなあと。良いライブでした。

メイドインアビス 1-6 / つくしあきひと

 

 人類未踏の巨大な縦穴アビスの底を目指す、探掘家の少女と遺物の少年のワクワクドキドキ冒険譚……うん、まあドキドキはしますよね、ちょっと意味が違いますけど。

未知の生物や遺物に溢れ上昇するとアビスの呪いと呼ばれる症状が現れる大穴や探掘家を始めとした設定や、深度が変わるごとに全く風景を変えるその見たことがない世界を描き出す説得力。大穴のふもとにある街での暮らしから、母を追って穴に飛び込むリコたちと孤児院の仲間たちとの別れまで、ちょっとした瞬間に生活の匂いがしそうな描写も素晴らしいと思います。思いますが、それ故にその描写力が、アビスの底に向かうごとにエグさとなって襲い掛かってくるの本当にですね、えげつなく精神力削っていきますねこれ……。

2巻で白笛オーゼンを酷い人だと思った(後で良い人だと思い直しましたが)のが遠い過去に思えるくらい、加速度をつけてエグくなっていく世界。白笛ボンドルドのネジのハズレ具合も環境そのものの持つ狂気も、たぶん単純にアビスの深層は人の在るべき世界ではないということなんだなと。真っ当な人間なら近づかない、近づくべきではない世界。アビスに近づいたことがそもそもの誤りなんじゃないかと思うような。

じゃあこの作品どこで道を外しているかって言えば、多分最初にアビスの説明が入った時点なんじゃないかと思うのです。上昇負荷の説明で予想以上に酷いものを見せらた時点で、それでも無邪気に穴の深部を目指したがるリコ。その姿に読んでいて疑問がなかったと言えば嘘で、それでも、立ち止まれないから憧れなんだと思っていましたが、ここまで読んでくると、それすらアビスの何らかが働いているじゃないかと思えてしまうのが何とも。

特にそう思うのは第6層突入後。明らかに人の理で解せない世界から触れてはならないというアラートが強烈に伝わってくる感じ、ちょっと凄いです。もはや試練だとか厳しい環境とかそういう次元ですらないように思えるのに、彼ら彼女らに退路はなく、もちろん引く意思などこれっぽっちもないという。人を捨てていたボンドルドがまだ理の分かる狂気だったというレベルの何かが、1巻からここまでに散りばめられた要素を一つの得体の知れないものに繋げていきそうなこの危機感は、ヤバいとしか表現しようがなく。

そしてそんな彼ら彼女らの冒険の描写もかなりキています。当然世界が世界だけにそのグロさもエグさも半端ないのですが、そこにロリショタケモ男の娘に人体欠損、四肢切断その他もろもろ投げ込んでくる闇鍋感。ストーリーも設定もそういった描写も、どこまでも濃い作者の業を煮詰めたような何かに仕上がっていて、あらゆる意味で気を確かに持って向き合わなければ引きずり込まれる、そういう力を持った作品だと思いました。凄い、ですがここまでくると怖い。

しかしまあ読み進めるほどによくこれアニメ化にゴーサインが出たなあと。今丁度オーゼンのところが放送されていて、この先を映像化? しかもテレビで放送? 正気?? みたいな気分になるのですが、果たして……。

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 5thLIVE TOUR Serendipity Parade!!!

keikomori.hatenablog.com

今回のシンデレラのツアーはこの初日に書いた感想が全てで、ただ単純に各公演色々なキャストが色々な曲をやることを楽しんできたのですが、SSAというファイナルも通常運転の拡大版で貫き通したことで、表向きテーマのないこのライブツアーは、やっぱり一番シンプルな形としてのシンデレラのライブを確立するためのものだったのかなと思います。

そういう意味で、4thのSSA1日目からの流れを受けて、目指されていたのは代替性と継続性、そして再現性だったのかなと。誰がステージに立ってもシンデレラで、シンデレラのストーリーは止まらない。それを実現するために、キャストの誰が入れ替わっても、スタッフが変わっても、公演場所が変わっても、時期が変わっても通用するだけことで基本形を固めた。次からは時期に合わせた色々なテーマがここに乗ってくるのだと思いますが、一番プレーンな形はこれで、そこだけで勝負できたというのが今回のツアーの意味だったのかなと感じます。

アイマスのライブって物語性だとか一期一会の瞬間に重きをおいているように感じていて、それって二度と再現ができないものなのですが、シンデレラの今回のツアーはもちろん初出演だとかはありましたが、割と明確にそういう要素を排していたように思います。サプライズなし、他では実現できないような演出もなし、どの公演でも骨組みは同じくして、それはSSAでも変わらなかった。だから、今回のツアーの形式であれば、毎年でも、海外でも物理的なハードルさえ超えれば同じことができるように思います。そういう意味でアイマスらしくない、でもメジャーアーティストとしてはプロフェッショナルで真っ当な普通のツアーだったし、その先にドーム公演を据えたのは、この先の結果はまだわからないけれど、そういう道を歩むことができるという自信もあったのかなと。

今までを見てきた立場からするとそれはやっぱりつまらないことだと思うし、明日のことは顧みないその場だけの特別が見たいという気持ちはどうしてもあります。ただ、そういう要素を無くしてもこれだけ盛り上がる、これだけ楽しいライブが作れるコンテンツになって、そういうライブを楽しめるようなファン層が今を支えているのだと思うと、なんというか、キャズムを超えたんだな的な感慨がありました。SSA2日目最終部ブロックの盛り上がりを考えると、やっぱりそうなった最大の要因はデレステの成功なんだろうなあと。

個人的には、あっさり味だったなとは感じつつも、あんまり物足りなさはなくて、凄い楽しかったし、次も見届けなくちゃじゃなくて、次も見に行きたいと自然に思えたのが良かったです。まあ例によって何度か死にそうになったり頭を抱えたりはしていましたが、それはそうと安心して適度な距離感で楽しめる公演で、普通に楽しかったという感想が一番最初に来るツアーでした。良かったです。

パンツあたためますか? / 石山雄規

 

パンツあたためますか? (角川スニーカー文庫)

パンツあたためますか? (角川スニーカー文庫)

 

「なにがそんなに辛いんだ」

「……分からないんです」

「なにかが嫌で逃げてきたんだろ。なにがそんなに嫌なんだ」

「……分かんないよ」

彼女は今にも泣き出しそうだった。

 環境が悪いわけでも、人間関係が悪いわけでも、病気があるわけでもない。何か原因があるならそのせいにすることはできて、でも何かが悪いわけではない。ただ、何かが欠けていて、ふつうに生きられなくて、逃げ出して、不安で、寂しくて、満たされなくて、幸せになりたくて、辛くて辛くて、ダメだと思うほどダメになって。とどのつまりは自分のことが大嫌いで、そんな自分のことが好きで仕方ない。

滝本竜彦が推薦文を寄せる、20歳そこそこの作者によるデビュー作は、まさに「NHKにようこそ!」の2017年度版リミックス。漠然とした生き辛さというか、不安というか、この青春の感覚は、時代を超えて普遍なんだなと改めて思うような一冊でした。そういえば滝本竜彦も先達から連なる文脈の中で語られる人だったなあと。

いやでもこう、何が頭を抱えるかって、あれから10年以上の時がたっても自分はこういう話が死にそうによく分かるし、本当に好きなんですよね。単に好みの話だけだったら三つ子の魂何とやらですが、これはなんというか、自らの成長の無さが真正面から突き刺さる感じで、お前この10年何して生きてきたの感がちょっと……。

ヒロインの真央はある日突然主人公の部屋に侵入しパンツをあさっていた自称ストーカーの美少女。物語の軸は彼女と主人公の関係で、それは当たり前な世界から弾かれたダメな人間同士のどこか共依存じみた関係になっていって。足りないものを底が抜けたまま注ぎ合うような関係は、温くてべったりと幸せで、光がさしたようでもその先にはきっと何もない。そういうのは、夢があるからどうにかなるものでも、周りに人がいればどうにかなるものでもなくって、もう一度学校に行こうとした真央が扉の前で立ちすくむシーンなんてもう刺さるものがあって。

だから、やり方はクズでダメで最低でぐしゃぐしゃに格好悪くても、この結末は正しい選択をしたんじゃないかと思います。鏡に写すようにそっくりな2人が傷を舐めあうだけだった自分たちの関係を、一度仕切って1人と1人としてもう一度向き合えるように。世界はだらだらと続いていって、それでも変わることはできるんだと、そういう希望を感じさせる終わり方でした。

小説として出来が良いかと言われるとどうかなと思うところも多いのですが、こういう話が好きな人はとりあえず手にとって、それと若い子が読んで心に突き刺さればいいと思います。抜けない棘になるから。あと、タイトルは「マイナスイオン・オレンジ」で良かったと思いますが、それだと手に取ってもらえないと考えたのかなあとか。

それから、私はNHKの岬ちゃんが好きだったのだから、真央が嫌いなわけ無いじゃんっていうね。もう本当にね、勘弁してほしいですよね!!

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS U149 1 / バンダイナムコエンターテインメント・升之

 

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS U149(1) SPECIAL EDITION (サイコミ)

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS U149(1) SPECIAL EDITION (サイコミ)

 

 担当者不在の状況が続き、子役のアイドルたちが毎日暇を持て余すばかりだった第三芸能課。そこに配属された小さなプロデューサーと小さなアイドル達のシンデレラストーリー。

とにかく丁寧な作品だと思います。奇をてらったところはなく、シンデレラガールズの年少組のアイドル達と新人プロデューサーが壁に当たったり、ぶつかったりしながらも二人三脚で進んでいく様子を、真正面からきっちりと描いたもの。この巻では橘ありすがメインとなる話も、彼女のキャラクターを考えればとてもスタンダードなお話。でも、キャラクターの描写も絵もストーリーも、細部まで手抜かりなく作られていて、本当に素晴らしい出来になっています。

それだけに、多分デレマスを知らない人でも十分に楽しめるマンガだとは思います。ゲームやアニメとは設定もストーリーも違いますし、年少組に焦点が当たっているのもこれまでの派生作品とは差別化が図られています。

でも、やっぱりこれはアイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツが好きな人のための作品だと思うのです。その細部に渡る丁寧さに、キャラクターを捉えて彼女たちの魅力を生き生きと描く様に、プロデューサーと共に前へ進んでいく様子に、何より感じるのはコンテンツへの愛で、私のようなこのコンテンツを追いかけてきた人間はそれが嬉しいし、有り難いし、素晴らしいと思うから。

彼女たちのストーリーはまだ始まったばかり。作者の描くこれからに期待と感謝を抱きながら、サイコミの更新を毎週待っていたいと思います。いや、ほんと、尊い

キッズファイヤー・ドットコム / 海猫沢めろん

 

キッズファイヤー・ドットコム

キッズファイヤー・ドットコム

 

 試される小説だな、と思います。

それが当たり前に思っていたことのどこまでが先入観なのかとか、じゃあ一体何が正しいのかだとか、あると信じていたものが本当にあるのかとか。ホストたちの炎上子育てを笑おうとすると、スコッと自分の足元が抜けるような。

カリスマホストの白鳥神威の圧倒的な自分への自信に基づいた過剰なまでのポジティブさ、全ての苦境を成長への機会と捉え後ろを振り返らないスタンス、女性たちの心を掴み先を読むコミュ力、そしてウェーイと突き進むノリと勢い。

「言葉の意味より大切なもの。それはフィーリングだ」「ホストの本能は無限の量子的パワーさえ秘めている」「ブロックチェーンを利用した新たなる通貨「Wei(ウェーイ)」」のようなパワーワードが乱発され、神威以外のホストたちもギャグすれすれの圧倒的な個性を発揮。そんな夜の歌舞伎町に生きドン・キホーテで全てを調達する彼らの世界に現れたのは赤ちゃん。全くの別世界の生きもの。

自分の家の前に手紙と共に捨てられていたその赤ん坊を、持ち前の前向きさとホストとしての矜持と筋の通し方で育てることにした神威ですが、怒涛のようなワンオペ育児にひたすら翻弄され、店に連れていけば夢を見る空間を求めていた女たちの足は遠のく。そして落ち詰められた彼が、それでも前向きに繰り出した一手が育児のクラウドファウンディング。KIDS-FIRE.COM。

赤ちゃんへの投資を募り、命名権や24時間の監視、進路決定権を分配する。アクセスが足りないと見るや炎上マーケティングに全振りし、燃え上がった所でテレビに出演するやり方も、子供の権利を切り売りするようなその内容も、正しくないように感じます。それはやっちゃダメなやつだろうと、おかしいだろうと。そしてそこに欺瞞があることは、やっている本人たちですら分かっている。でも、実際問題として神威にあのまま子供を育てる手があったのか。子供は親が育てるべき、愛があるならできるはずという精神論が、いったい追い詰められる親に何をしてくれたのか。

そう思った時に、子育てとは縁遠い世界にいる私が当たり前だと思っているものが、果たしてどうやって形作られたものなのか、どこにバイアスがかかっているのか、ふと分からなくなるのです。愛が分からないという神威だから、子育てに必要なコストと、返せるリターンを結びつけて、単純にそれを社会に求めた。彼はその道を邁進して、その結果が語られる近未来SFのかたちをした続編、キャッチャー・イン・ザ・トゥルースでも、やっぱり何が正しかったのかは良く分かりません。彼が推し進めたことは、育児をする親の環境を整えるだけのことで、それはたくさんの矛盾を孕み、またそれによって追い詰められた人がいて、救われた人もいるはずで。

「愛なしで子供を育てることができたら、それは世間でいう薄っぺらな愛情より素晴らしいものになるのかな」

「それはたぶん愛と見分けがつかない」

神威たちのやろうとしたことは、作中のこの台詞に語られていることなのだと思います。それができる道具が現代にはあって、そうならざるを得ない背景も現代にはあった。でもやっぱり、それはおかしいと思ってしまう自分がいて、それは先入観がもたらすものではと思う自分もいる。

当事者ではない私は世の中の当たり前を無邪気に信じていて、思っていた以上に何も分かってはいないんだということを、ひとまず胸に留めていたいなというのが、このひとつの未来予想図のような作品を読んで今考えられることの全部かなと、そう思いました。

岸田教団&THE明星ロケッツ ワンマンツアー2017 ~LIVE OUR LIFE~ 8/5 @ TSUTAYA O-EAST

 

「LIVE YOUR LIFE」(アーティスト盤)

「LIVE YOUR LIFE」(アーティスト盤)

 

 去年野音で今までで見た最高の岸田教団だ! って思ったのですが、早くも最高超えてきました。本当に、最近はライブを見るたびに良くなっていくので、もちろん曲も緩めに煽り合うMCも変わらずに岸田教団なんだけど、確かに何かが変わったのだろうなと。

アルバムを最初に聞いた時から、ラストを締める「LIVE MY LIFE」はきっと岸田教団にとって特別な曲なのだろうと思っていたのですが、ライブというメンバーがいてファンがいる空間でこの曲をやったことで、間違いなくそうなのだと感じます。「生存」をテーマに掲げ、殺しにきているのかというくらいゴリゴリのセットリストで攻めきった本編の最後にこの歌詞の、この歌が来るというのが本当に。

この日は当日券も出ないSOLD OUTでぎゅうぎゅうのTSUTAYA O-EASTだったのですが、その人口密度の高さからか、ファンの熱気というか、岸田教団が好きだという気持ちみたいなものが作る空気が凄くて、その中で「愛してきたものに救われる日々だ」って、そんな歌フロアまで含めてみんなで歌ったらそりゃあねえ......と。ああこれはアンセムになる曲なんだなと思いました。

そしてアンコールの「明星ロケット」と「星空ロジック」で爆音の中フロア大合唱の大熱狂ですごい、やばい、楽しい意外の語彙力の失われる感じ。そのなかなか味わえないくらいの爆発力に、ああ、こんなに愛されるバンドなんだ、こんなライブをするバンドなんだ、ずっと追いかけてきて本当に良かったと思いました。本当に、良いライブでした。