クリスマス・テロル / 佐藤友哉

クリスマス・テロル invisible×inventor (講談社ノベルス)

クリスマス・テロル invisible×inventor (講談社ノベルス)

さて、困りましたね。何をどう感想にすればいいのか。
以下ネタばれあり。
とにかく、この本に対して正しい理解をするためには、鏡家サーガを全部読んで、この本以前に佐藤友哉が書いてきたことを知って、今の佐藤友哉が何をしてるのかを知っていないといけないのではないかと思うのです。この本のテーマが佐藤友哉自体の作家としての問題であって、正直物語としても、密室本としても、あんまり面白いとは思えないので。序盤から頻繁に作者が地の文に介入し、金持ち兄弟の登場からご都合主義が加速し、主人公は事件そのものには介入しきれず、トリックはテーマ的にはありでも、あっけに取られるとんでもないもので、最後には私小説どころか自分語り。物語もキャラクターもページ数が制限されていたからか、作者が「スペックを落としてる」からかわかりませんが、もう少し踏み込んで話をしても良かったような気がします。岬の病気とか、熊谷家の関係とか、冬子自体の問題とか。
まぁ、それにしても話の中心はそんなところではなく、冬子と尚人の会話であり、終章という名のあとがきであるのだから、いいのかもしれませんが。小説には一番大切なことは書かれることを拒むといい、その上で尚人は書くことだけをするために表面上は消えるって、じゃあ小説家ってなんなんでしょうか。書かれていない一番大切なことを誰かが理解してくれる事を祈って、物語のみを放ち続けるのでしょうかね。そして、もう一方では書いたものが受け入れられない事、無視される事の恐怖を書き続ける。というか、もはやグチに近いレベル。売れないことへのグチ。理解されない事へのグチ。犯人は読者。被害者は佐藤友哉
…というかこれって思っても書いちゃいけないようなことじゃないんですかね。読書経験がえらい浅いからわからないんですが。「小説家は嘘でも夢を見させないといけない」って言う内容の文が本編の前にのせてある時点で自覚的なんでしょうが。でも書いちゃいましたっていう。そもそも尚人の話で終わるのならまだわかりやすいのですが、佐藤友哉が語る終章。この佐藤友哉の文章は計画的な小説の一部かそれとも本心を書きなぐったのか。実際このあとも小説を書いている時点でどこまで本気だったんだか。作家としての佐藤友哉はもう無理ってことか。なにはともあれ、正直よくわからないです。で、問題作かぁ。
満足度:C−