嫌オタク流 / 中原昌也・高橋ヨシキ・海猫沢めろん・更科修一郎

嫌オタク流

嫌オタク流

紀伊国屋書店で立ち読みしてきました。1000円はちょっと高い。
内容は最近表立って出てきてるけどオタクって要するに何なのさと思ってる高橋ヨシキと、まぁどうでもいいけど俺の目の前に出てこないでくれと思ってるよう見える中原昌也が、ちょっと引いた位置にいるオタクである海猫沢めろんと、オタクについて評論する立場にいる更科修一郎に、色々話をふっかけてみたけど結局なんだかよくわからなかったよという本。
大真面目に受け取ってもいけないし、スルーしてもいけない感じの距離感のとり方の難しい本でした。真剣に読むべきではないけど真摯に読むべきではあるみたいな。
話の内容は1部では海猫沢めろんを、2部では更科修一郎を迎えた座談会形式で、話の内容はだからオタクってなんなんだよというテーマでグダグダと喋ってるような感じ。断片的には興味深い切り口や捉え方が出てくる割に、突っ込んでは行かないで延々と本質的な議論の周辺部分をかすめながらグルグルと回ってるような印象です。一つ一つの話はもっと切り込んでいけば何らかの面白い結果が出るかもしれませんが、ここ出たこと自体は取っ掛かりみたいなものなのであんまり。腐女子のこととか射程に入ってない議論もありますし。
あと、なんかこの本で描こうとしているオタク像はあまりに範囲を狭め過ぎて「オタクのイデア」みたいになってしまって、結局そんなオタクどこにいるんだよという印象になってる気がしました。一つ一つの話は50%ありそうだけど、50%おかしいみたいなことが多かった気がします。そういう傾向はあるけど一般論化するのは無理みたいな。可愛い/萌え/ポルノは切れない関係だけど、イコールで結ばれる訳ではないんじゃないかとかなんか色々引っかかりつつ、確かにそういう考え方も出来るなぁと思ったり。
オタクを知らない人がオタクについて考えてみた本としては面白かったと思います。座談会メンバーのキャラクターが濃いので、単純に喋ってるだけでの面白さはありますし。しかし別にオタク批判本な訳でも無いので嫌オタク流ってタイトルはどうなんだろう。
ちなみに私はこれを読んでいてオタクとか萌えって言葉の定義がわからなくなりました。