嘘つきみーくん壊れたまーちゃん『i』記憶の形成は作為 / 入間人間

個人的に最近の入間人間作品は本当に素晴らしいものばかりだと思うのですが、これだけ思い入れが出てくると、純粋に良くなっているのか、私の受け止め方が変わったのかすらわかりません。そんなみーまー短編集。計5編、外れ無しです。
話としては、みーくんがまだみーくんではなかった頃、あの事件に巻き込まれる前後、そんな頃の少年の物語。4本の短編で語られるのは、事件直後の精神病院での話、学校に戻った僕が出会った女の子の話、事件前のにもうとがまだ妹だったころの話、そしてみーくんまーちゃん前哨戦。
この頃の僕は、まだ徹底しきれていないというか、幼さと弱さが前面に出ていて、だからこそ読んでいて感じる痛みの厳しいこと。みーまーにおける僕の立ち位置は、滅茶苦茶な世界に折り合いをつけるために一生懸命壊れようともがいている人だと思っているのですが、この頃の僕はまだうまく壊れられずに、それでもまっとうに生きられないという板挟みの中で苦しんでいるかのようです。
病院の引き裂かれたフェンスを前にして実感すること。虐めながらも距離を近づけようとしてくるトーエとの関係。妹から寄せられるねじくれた信頼と愛情。みーくんしか見えないまーちゃん。生きたい、近づきたい、認められたいという気持ちがストレートに出てくる僕の、でも普通であることを既に奪われた日常は、押しつぶされそうな切実さに満ちていて、読んでいて胸が苦しくなるようでした。
さらに僕の周りの人々。精神科医であるには、患者に真っ直ぐに向き合い過ぎていた恋日先生の言葉と行動の数々。トーエの距離感の詰め方。妹の歪んだ愛情。哀しくなるくらいに不器用な、それでも懸命な人々の姿もまた、読んでいて辛いものがあります。
そんな物語を支えているのは、僕の戯言になりきらない戯言の一人称と、時折胸に刺さるようなセリフや文章の存在。作品を包む、淡々として沈んだ空気の手触りが、苦しさと同時に落ち着きを運んできてくれて、不思議と居心地の良い雰囲気になっています。
そしてラストのifの世界。7巻までの現在と、この過去を見せた直後にこれを持ってくる辺りがさすがと言うしか。ついに確定した僕の本名××と合わせて、どうしようもなく、救われない気分になれました。