休みの日って不毛なんだかどうだか。


朝から上の階の家がリフォームしてるせいの強烈な騒音で目が覚めました。壁震えてるし。びっくり。その後も一日うるさいのなんの。私は結構音を気にするタイプの人なので、ちょっとイライラ。一日家にいる母親は毎日これ聞いてるのかと思うと、忍耐力の強さに感嘆します。
今日はそれ以前に胃痛で夜中何度も目が覚めてたせいで眠い日。なんかびっくりするほど胃が痛かったんですが、眠さがそれに勝ってお腹抱えたまま寝て、でもちゃんと寝れないで変な悪夢にうなされてた記憶があります。惜しむらくは内容を覚えていない事。きっとすごい突飛な話だったと思うのに。それにしてもカゼでも引いたんでしょうかね。喉も少し痛いことですし、用心しときましょう。


午前中は本を読んでいて、昼食を買ってきて食べたらドラクエをして、CD聞きながら少し寝て、夜になるって生活には、健全さってモノが感じられ無い気がしますが、そういう風にしかできないような気もするので休日はいつもそうなってしまってます。
結局視覚情報や音声情報の中にしか生きられないような気すらする今日この頃ですが、新聞の夕刊でどこかの大学の教授が「現代は感覚そのものがリアリティになってる」見たいなことを言っていて、そうだよなぁとか思ったり。独我論的ですけど、結局リアリティを感じるものっていうのではなくて、そこから感じたものそのものがリアリティであって、それが虚構の情報であろうと、物理的な意味でのリアルであろうと、社会的な意味でのリアルであろうと、かなりどうでもいいと思ってるわけです。物理的/肉体的なリアルは捨ててしまうと人間やめることになってしまうので捨てられませんが、結局感覚があらゆるものの上位に来る以上この辺の区別をすること自体が別にどうでもいいことになります。フィクションもノンフィクションも感動したという意味において等価。リアルも虚構も感覚に消費されるだけなのです。