読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「ラブライブ! The School Idol Movie」 終われない物語を終わらせるために

もう少し落ち着いたら、と思っていたのですが、明日のファンミに行くなら見ておかないとダメだろうと観てまいりました。ラブライブの映画。
観に行く前は、あの二期の終わりの後で普通にやったら蛇足も蛇足な映画版を一体どうするのだろう。もういっそ海外に行って歌い踊り狂っているだけの2時間にしたらみんなハッピーで良いのではないかと、割と本気で思っていたのです。だってこれ何を語れるのと。
びっくりしました。製作陣は大真面目でした。この驚くほど人気が出ているμ’sを取り巻く状況と、その未来と、アニメとしての集大成を、全部まとめて引き受けて語りに来た劇場版。それだけに、頭空っぽにしてただただ泣いて笑ってハッピーになれるという映画ではなかったように思います。ただ、ラブライブという作品の現在地を示したとても真摯な映画だったと思うのです。


ネタバレを含むのでこの先は格納。














TVアニメのラブライブは、終われなかった作品なのかなと思っています。
アニメ1期で穂乃果たちは廃校の危機にひんした母校を救うためにスクールアイドルμ’sを結成して奮闘します。その中でラブライブ! というスクールアイドルの甲子園のような大会への出場と優勝というもう一つの目標が持ち上がって、そこにも向かって邁進して、でも廃校の危機を救えたことによる目標の喪失や、メンバー間で起きた問題もあって届かなかった。けれど衝突を乗り越えてひとつになったμ’sは、誰もお客がきてくれなかった始まりの場所である学校のホールで、満員の観客の前でライブをする。さあここからだというところであり、またここで終わっても良いような話が1期でした。
そこで人気が出たからか続きが描かれた2期は、積み残した目標であるラブライブ! の優勝に向けて勢いに乗ったμ’sがひたすらに走り抜けていく高揚感こそが身の上の作品でした。μ’sはみんなで叶える物語なんだと再確認して、優勝まで駆け抜けて、そしてその後に残るのは3年生の卒業と、それによってμ’sはどうするのかという問題。彼女たちは9人でなければμ’sではない、だからおしまいにするのだという一つの答えを出します。そして卒業式を迎えて、美しく大団円を迎え……られなかったのがアニメの2期。
終わっているはずの物語をひっくり返すようなラストの展開で劇場版へ続く!
まあなんというか、ここまで人気が出てしまえば終わる訳にもいかなかった少年ジャンプ的な理由なのかなあと勘ぐりたくもなります。そのくらい、アニメ作品としては数年に一度のレベルでの人気が出ているのだから、ここにエンドマークはうたせてもらえない、そういうことなのかなと。
じゃあそれはそれとして、劇場版って何をするの? というのはずっと疑問が残っていたことで。


ちょっと話は変わりますが、ラブライブというコンテンツはアニメだけで成り立っている作品ではなくて、中心に原作があり、アニメがあり、ゲームのスクフェスがあり、声優による「μ’s」のライブがあり、他にもたくさんのもので構成されています。
そして、その中でとても強い影響力を持つだろうアニメがμ’sは終わりですと宣言するのはそれなりに重いものなのだのだと思います。ずっとサザエさん時空を生きてきた原作や独立度の比較的高いスクフェスはまだしも、中の人ユニットであるμ’sが、アニメにおいておしまいになった時に、まだライブ活動を続けていくのはどうなのだろう、だとか。
だから、2期で先延ばされたアニメとしての作品の結末に真剣に向き合うのならば、ラブライブという作品全体を見通した時の方向性に対しても、この劇場版は回答を出さなくてはならなかったのだと思います。


だからこそ、ここではそういう話は来ない。とするともう2時間歌って踊るしか無いんじゃないかと思っていた訳で。それがまさかの真正面からそこに取り組んで、ひとつの答えを見せてくれる劇場版になっていたのでびっくりしたのです。
それも、アニメの中で起きている出来事と、現実にμ’sを取り巻く出来事が重なって声優とキャラクターが=で結ばれる、とてもとてもラブライブらしいやり方で。


劇場版は、終われなかったμ’sをもう一度終わらせるための作品であり、同時にドームというμ’s最後のステージへの道を整えるための作品だったと思います。
提示されるのは現実のμ’s人気を反映するかのように、作内でも思いがけないほどの盛り上がりを見せるμ’sへの視線。そしてその流れで先に見え始めた、次のラブライブのドーム大会の存在。穂乃果が悩むのは終わらせようとしていたμ’sが、これほどまでに求められている状況の中で続けるべきなのか、自分たちは何のために歌うのかという問題。
人気故に3年生の卒業と9人だからμ’sでは終われなくなってしまった状況が、作外のラブライブ!を取り巻く現況にオーバーラップして、劇場版のストーリーはμ’sをどうするのか問題を一手に背負い込みます。

そこで、穂乃果が出す一つの答え。A-RISEのようにそのままプロになる道も提示される中で、「スクールアイドル」であることを大事にするために、μ’sというグループは終わりにするのだと。それが自分たちにとって一番正しくて、楽しい選択なのだと。
故に、「ラブライブ! The School Idol Movie」。ラブライブという作品はμ’sだけに縛られるものではなくて、スクールアイドルたちを描いた作品なのであるという(サンシャインのことも念頭に置いただろう)シフト。(と言いながらほとんどバックダンサー扱いなのはどうかとも思いましたが!)


終われなかった物語の積み残しと、現実のラブライブを取り巻く環境に、ここまでの積み重ね故に語れることが少なくなってしまった状況で答えを導き出す、まあなんというか綱を渡るような、力技に近いことをよくぞここまでという脚本だったなあと。
そしてμ’sの物語としては、アンカーへとバトンを渡すように。
スクールアイドル達の祭典が終わって、音ノ木坂のスクールアイドルは妹達の代に引き継がれた後。いつどこだか明確には語られないμ’s最後の舞台。歌われるのは、それぞれのメンバーの名前を歌詞に織り込んだ、まさしく集大成のような楽曲。そしてそれ以外の詳しいことは何も語らないまま、映画の幕は閉じられます。

それはつまり、この映画を持ってそのステージに至るすべての準備が整ったのだと、そう思っていいんですよね! という。アニメのμ’sからライブのμ’sへと、最後のバトンは繋がれたのだと。


まあ要するに、この映画を観た最大の感想は、東京ドームで泣き崩れる準備はできたってことです。
いや、ここまでやったら来ますよね? 来るんですよね!?