【小説感想】虚構推理 スリーピング・マーダー / 城平京

虚構推理 スリーピング・マーダー (講談社タイガ)

虚構推理 スリーピング・マーダー (講談社タイガ)

 

 岩永琴子は怪異たちの相談事を解決する知恵の神であり、怪異と人間の調停者であるというのはずっと貫かれている大原則で、それをミステリの視点から描いたものがこのシリーズだと思います。怪異と人間の絡んだ問題に対して、彼女は絶対の公正さをもって正しい落とし所を用意し、必要であれば虚構の理を構築して双方を納得させる。

逆に言えばそれが故に岩永琴子は岩永琴子であり、結果として九郎はそこに「危うさ」を感じ、六花は「たちが悪い」と言う。その岩永琴子という存在が、これまでより人間側に比率が偏った事件と対峙した時に何が起きるのか。ああ、この子はたちが悪く、危うく、そして明らかにヤバいのだと、その在り方を見せつけるような一冊でした。

高校時代の岩永の話、鋼人七瀬事件後の六花の話を導入に描かれる事件は、とあるホテルグループ会長からの依頼で始まるもの。かつて妖狐に頼んで妻を殺したというその老人は、遺産配分の条件として子どもたちに自分が妻を殺したという嘘の証明をさせて、それを琴子に審判してほしいと言います。罪は正しく裁かれるのだと、子どもたちに伝えるために。

かくして、遺産相続を巡るゲームという、まさしくミステリ的には殺人事件待ったなしの状況が発生しますが、それぞれの持ちえる情報と思惑、岩永の誘導と公になりようがない妖狐の存在、更に存在しない殺人の証明という不可能命題が絡まり、話は妙な展開を見せて……という感じ。

 

以下ネタバレ有りで。

 

 

 

 

相変わらず最速でたどり着いた(妖狐に聞いたのだから間違いない)真実を知りながら、虚構の推理を構築していく形な訳ですが、情報の持ち方と出し方にひと仕掛けがあることで、思ってもみない結末にたどり着くのが面白かったです。虚構を構築していたはずのものが、ある一点を除いて真実として裏返ってくるのは想像もしていなかった。そして、だからこそ読者としても感じる岩永琴子の「たちの悪さ」。

せっかくみんなで構築していたはずの、人間にとって都合の良い、納得ができる虚構を選択しないんですよね、今回。何を暴いて何を隠すのか、それをひっくり返して突きつけることで生まれる効果まで含めて、全ては岩永琴子の手のひらの上。彼女の作る虚構が、直接知り得た真実からの逆算で事実を規定し、その判断原理は、怪異と人間の公正な調停者であることのただ一点。それは後味が悪かろうが、どれだけの恨みを買おうが、どんな犠牲が生まれようが、変わらない。

探偵は真相を暴くものであり、それが故にどんな宿命を背負うのかを、城平京はデビュー作「名探偵に薔薇を」で描いていたのですが、これもまた怪異と人間の調停者であることで背負うものを描いた作品という見方もできるのかなと思います。

だとすれば、岩永琴子と桜川九郎の在り方そのものが、いつか調停者として見た公正さに反した時に、突きつけられたものに彼女がどうするのか。岩永琴子が岩永琴子であり続けるために捨てなければならないものと、すべてを失ってただの人間になること。どちらにしても、彼女の隣に九郎がいる未来が見えなくて、それはまあ六花が二人を離れさせようとするのも分からなくはなく、かつて神隠しにあった時点で彼女がその身に背負ったのは祝福ではなく、呪いであったのかも知れないと思うのでした。

【小説感想】ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 2,3 「case.相貌塔イゼルマ 上・下」 / TYPE-MOON・三田誠

 

 あのFate/Zeroのウェイバー君がこんな立派になってと思う訳ですが、エルメロイⅡ世というキャラクター、単純に成長したというには随分と拗れた在り方になっていて、そこが面白いなと思いました。

魔術へ精通し、研究者、講師としての特異な能力を持ちながら、魔術師としての凡庸さがもたらした捻れ。外から見た評価と自己評価の乖離。格好良さと情けなさの両面性。面倒事を引き受けては眉間に皺を寄せ、胃を痛めながら解決に導く姿。そしてそんな彼の人格を作ったのは、あの英霊との日々。このロード・エルメロイⅡ世や、彼の周りにいるライネスやグレイというキャラクターこそシリーズの魅力なのかなと。

作中でも魔術が絡む事件はフーダニットもハウダニットも推理不可と言う通り、ルールが明示されないので謎解きミステリとして読むものではない感じ。そして作中で言及されるワイダニットも1巻では魔術師の考えることなんて分からんがなと思って楽しみ方がいまいち分からなかったのですが、この2,3巻は解き明かされていく事件の真相も、個性の強い魔術師たちのキャラクターも、グレイたちの派手なバトルもバランス良く盛り込まれ、エンタメとしてとても面白かったです。

特に、追い詰められたライネスの元にやってきたエルメロイ2世が、このイゼルマで起きた事件と魔術を解体して晒していくプロセスは間違いなく謎解きであり、泥臭くも鮮やかで、そこに見える彼の特異性が面白かったなと。そりゃあ自分の家の秘術をひと目で見破って、淡々と魔術師がたくさんいる場で解説してくる奴はだいぶヤバいよなあと思います。

【マンガ感想】私に天使が舞い降りた! 6 / 椋木ななつ

私に天使が舞い降りた!: 6【イラスト特典付】 (百合姫コミックス)
 

 みゃー姉の成長が著しい6巻。

わたてんには、みゃー姉の笑い事じゃないダメっぷりと子どもたちの容赦ないストレートさから透けて見える隠しきれない闇、みたいなものを感じていたのですが、みゃー姉に社会性と前向きさが芽生えつつあり、子どもたちも成長していることでなんだか空気が凄く真っ当になった印象があります。まあ、松本とかはいますが。

そんな感じでみゃー姉と子どもたちの日常を安心して読めるようになった一冊。可愛いし楽しいし嫉妬しているノアも良いのですが、あの砂糖漬けの中に毒がある感じが好きだった身としては、それはそれで物足りないような気がしなくもなかったり。

あと、前はみゃー姉が花ちゃんに一生お菓子作るよと言っていたのが、花ちゃんからみゃー姉への一緒にケーキ屋をやりましょうになったの、成長と共にめっちゃ健全な方向に進路修正されたなあと感慨深さがあります。

しかし社会不適合者が小学生たちとの交流を通じて更生していく話と書くと、あまりに身もふたもない気がしてくる。

【小説感想】魔法少女育成計画 episodesΔ / 遠藤浅蜊

 

 本編でもう死んでしまった魔法少女たちの生前のエピソードに、でももう死んじゃってるんだよな……と思うのがまほいく短編集の常な訳ですが、それにしても冒頭から幸せ夫婦をしていた頃のトップスピードの話を持ってくるのは精神的ダメージが大きくはないでしょうかね……。あんなふうに死んでいい子じゃなかったんだよ……。

話の中では、その後のテプセケメイ(正体は亀の魔法少女)の日常を描いた「正月と亀」が、ちょっとズレた視点から人間の日常を描いていて面白かったです。

それから、シリーズの中の一編としては、修羅道を歩み始めた頃のスノーホワイトの話である「魔法少女暗殺計画」が印象的。多くの友の犠牲の果てに生き残ってしまった彼女だから、そうやって生きるしか無かった。後に登場する"魔法少女狩り"としての彼女がどのようにして生まれていったかの1ページなのですが、心の中で泣いている姫河小雪を押し殺し、困っている人の心の声が聞こえる魔法を戦闘に転用して、自分よりずっと格上の魔法少女たちに狙われてもギリギリで返り討ちにしていくその姿、悲壮さと共に美しさがあるなあと思います。なんというか、この在り方が、私達の知るあのスノーホワイトさんだよな、と。

あと、東山奈央の帯コメントが完璧で、流石だと思いました。

【マンガ感想】THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS U149 5 / バンダイナムコエンターテインメント・廾之

 

 相変わらずキャラクターに対しても、ストーリーの紡ぎ方も本当に丁寧で、愛情を感じられる素敵なマンガだと思います。

この巻は、第3芸能課の子たちがデビューを目指して自作動画で5000PVを目指す話。思うように再生数が伸びない中で意見がぶつかったり、焦りからピリピリした空気になったりという中で、仁奈という一番純粋な子を主役に持ってくるのが上手いです。周りの空気に敏感で、それをプロデューサーに相談できて、楽しもうという方向に持っていけるのは、仁奈しかいなかったよなあと。

そして、動画を作る子どもたちと対比される形で、彼女たちの力を信じて、そのこれからを背負って大人の世界で戦うプロデューサーの姿が、やっぱり子どもたちに思い入れがある状態で読むと、格好良くて。100点の結果を持ってこれずに謝るプロデューサーへの彼女たちの反応が1巻の頃とはまるで別物になっているのが、築いてきた信頼関係と、共に歩んできた道を思い起こさせて泣けました。

それからこの巻、梨沙とありすがペアで出る機会がすごく多いんですよね。2人とも向上心が強くて、負けん気が強くて、でも天才ではない、どちらかというと天才を見上げながらあがくタイプ。だから、梨沙は晴を見てるし、ありすは桃華を見ているんだと思います。

でも、そんな2人が一緒にいるとすごく似ているようで、お互いに向ける視線にちょっと違いがある。ありすは純粋に上しか見ていなくて、そこで梨沙が、ありすが桃華しか意識していないのが腹立つって言うのが、最高に的場梨沙って感じです。あの4人の中で一番気持ちは強く、一番底から一歩ずつ這い上がる、その愚直さ不器用さ含めて、的場梨沙が好きだなあと思いました。

【マンガ感想】メイドインアビス 8 / つくしあきひと

 

 ヴエコの口から語られる、成れ果て村のなりたち。はるか昔に黄金郷へと潜った、捨てられた者たちの決死隊「ガンジャ」。彼らにアビスの底で何が起きて、そしてどのようにして村は成ったのか。

この作品のひどい話が生易しくないことなんて、そりゃあプルシュカの話を経て読んでいるのだから分かっているつもりだったのですが、いや、しかしこれは、絶句するしかないレベルで……。

たどり着いた黄金郷で退路は絶たれ、やがて襲い来る未知の病。急激に追い詰められる中で、手にした願いを叶える遺物。イルミューイという子を成せない身体が故に故郷を追われた少女とヴエコの関係。そして、最後に彼女が願ったもの、隊の皆に必要だったもの。純粋な願いを逆手に取るように組み上げられていく最悪は、けれど悪意によるものではなく、犠牲と狂気の上で命は繋がれた。その結果そのものが、成れ果ての村。

最初にこの階層の話が始まった時に、圧倒的な人ならざる者の領域だと感じたそれが、まさに人の業の行き着く先だったということが、何よりも酷な話だと思います。本当に、ここからいったいどうなれば良いというのだろう……。

【映画感想】ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

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私の中にある、一番古い映画を観に行った体験が「ゴジラvsキングギドラ」なんですよね。まだ小学校に入ったばかりの頃の記憶。

ゴジラは、怪獣映画なのにこういうメッセージ性があるとか、大人が見ても楽しめるとか、そういう評価のされ方をすることが多い作品だと思います。私だって人に話すならそう言いたくなる。実際初代ゴジラとかは意味のある映画なのだと思うし、シン・ゴジラは震災後だから生まれた超面白い映画だったし、ギャレゴジも良かったし、アニゴジの怪獣哲学も分からなくはなかった。

でも、そもそもあなたの好きだったゴジラはなあに? と問われれば、絶対に違ったはずだったと、そうじゃなかっただろうと、最初のゴジラキングギドラのど迫力バトルのシーンを見ていて、涙が出てきたんですよね。とてつもなくでかい怪獣同士が戦っている、まずそこが好きだった。怪獣が好きで、それが戦っていれば二乗で好きで、謎の組織とか、謎のメカとか、謎技術とか、なんかそういうものにワクワクして、人間のパートが長いと少し退屈に感じていたじゃないかと。そう思って、vsデストロイアまで毎年楽しみに映画館に連れて行ってもらってたんじゃなかったかと。

そこにはたぶん高尚さはいらなかった。設定だって、今回の映画で言えば、「ゴジラは地球の王だ 自然のバランスを乱すものは人間でも怪獣でも容赦しないぞ!」って怪獣図鑑吹き出しで書いてあるくらいの明快さを、大人に向かってしたり顔で主張できれば良かった。ソフビ人形で、夢の対決を思い描きながら遊んで、従弟が持っていたメカキングギドラ(でかいから高くて買ってもらえなかった)が羨ましかった。

それも間違いなくゴジラで、私にとって原体験だった。そういうことを思い出させてくれる映画でした。これを見て評論家が酷評したとか、怒る人がいるのも分かる。突っ込みどころとか、いやそれはってところは確かにいっぱいある。でも、これが私の見たかったゴジラなんですよ。これを見たかったんですよ。vsシリーズが大好きだったあの頃の自分が成仏するというか、映画館に墓を建てる系の案件でした……。

 

そんな感じの、もう本当に最高の怪獣映画だったのですが、いや、なんですかねこれ。海外の強火ゴジラオタクが莫大な予算とハリウッドの技術を背に受けてぶっ放した「ぼくのかんがえたさいきょうのvsシリーズ」というか、新興宗教ゴジラ教の神話を描いた教典ビデオというか、ちょっと、いや大分キマってる感じの映画です。マインドがソフビ人形でどかーんずがーんと遊んでいたところから全くブレずにここまで来て、それを煮詰め続けた結果として怪獣崇拝が行き過ぎて生まれたものみたいな。

あらすじをシンプルにまとめると、怪獣は神! ゴジラは怪獣の王!! ゴジラを崇めよ!!! ゴジラを崇めたらあらゆる問題が解決したし救われました!!!! って感じで、それを何一つ隠すことも疑うこともなく、満面の笑みで提示されているのがヤバいです。エンディングで流れるやつとかマジでどうかしている。

渡辺謙率いる秘密結社モナークの皆様方もなかなかに過激な思想を持っていて、果たして貴方はこの勢いにノれるか!? という状態なのですが、いやもうそこはノれちゃう。最高の怪獣がいるから全然大丈夫。怪獣が登場するあらゆるシーンが半端ない神々しさに満ち溢れて宗教画みたいになっている上に、強火ゴジラオタクの考え抜いた最高の怪獣プロレスが、当代最高のハリウッドCGで放たれるからもう最高な訳です。全面的に格好良くて、神々しくて、美しい。ゴジラvsキングギドラだけでもお腹いっぱいなのにとにかくもう怪獣が出る出る暴れる。そして王たるゴジラ&女王たるモスラのタッグとかテンションが上がるし、例のモスラの歌で泣けるし大変。あとラドンが圧倒的に小者。そんでもって、ゴジラ復活から体内の核がヤバいの流れでこれはもしかして来るか来るかと思ってたところに、バーニングゴジラが来たんだからもう拝むしかないじゃないですか。そりゃあ、あのラストシーンになるって。

登場人物たちと共にゴジラに対するスタンスを決めかねていたところから、後半にかけてもう完全にゴジラを応援することしかできなくなっていく感じと、キングギドラの存在感のあるラスボスっぷりは怪獣プロレスとして完璧な流れだったし、神々しく闘う怪獣たちを凝視しながら、これが私の求めていたものと涙を流すのは、宗教体験に足を一歩踏み入れた何かでした。当然映画なのだけど、瞬間を感じるというか、ライブを見てエモいとか尊いという感じに近い、本当にいいものだった。

そんな感じで、加点法で見ると1億万点!! という映画でした。こんなもの誰に勧めたら良いか私にはわからないのですが、本当に最高に最高だったので、みんな細かいことは全部忘れて、ゴジラという王を崇めに行けば良いんじゃないかと思います。なんと全国各地の映画館が聖地になるよ!