【小説感想】私をくいとめて / 綿矢りさ

 

私をくいとめて (朝日文庫)

私をくいとめて (朝日文庫)

 

 困った時には脳内の執事のような存在Aに助けられながら、「おひとりさま」ライフを満喫するみつ子32歳。Aとの脳内会話の軽快さとみつ子の視点から描かれる世界の面白さ、文章のノリも見覚えがあるし、みつ子の考えていることや言っていることも心当たりありまくりで、共感値のめちゃくちゃ高い楽しい小説です。そんなみつ子が多田くんとの関係の進展で少しづつ変わっていき、他人との関係を作ってAとの別れを迎えるというのも物語として王道に感じます。いやそれが王道として描かれるの、子供から大人への話だろというのはちょっと置いておいても。

なのですが、これ、何かおかしくない? 深淵がちょろちょろ覗いてない?? みたいな感触のある一冊でもあって。

とにかくこの小説、みつ子フィルタ、みつ子一人称による世界の見え方が強烈なのです。見えているものも、考えていることもよく分かる、分かるのだけど、見えていないものがそこにあることも分かるというか。そして、みつ子がその領域に踏み入れそうになると、Aが全部寸前で受け止めて掬い上げてる感じがあります。だからAが居なくなって多田くんに向き合ったところでみつ子はバランスを失い、出てくる言葉がこの「私をくいとめて」というタイトルだという。

みつ子は考え方が自分主体だし、見えてる世界が狭いのは間違いない。でも、それが幸せなのか、そうじゃないのかはなんとも言えない。Aが救ってくれるみつ子の世界にはちょっとした不幸はあっても、それ以上のものはありません。一人で生きることを選ぶに至ったコンプレックスもない。とにかく暗くマイナスなものがない。前向きで、のほほんと幸せで、感情が不必要に揺れ動くことはない。そして読者はそれを未熟だと切って捨てることも、新しい生き方だと賛同することもできる。それは価値観の古さ、新しさの問題なのか、答えはゼロイチではないとして、正しさはどこにあるのか。

その答えをこの小説は出さないで、でも、解説で金原ひとみが書いている通り、みつ子的なものがメインストリームに躍り出つつある雰囲気というか、時代の空気をこれでもかというくらいに鮮やかに切り取っています。だから、これを読んだ人間は、みつ子の世界と、みつ子フィルタの外側を含めた世界をどう受け止めて、考えていくかを委ねられているのかなと思います。

そして30代おひとりさまな私にとってこれは全くもって他人事じゃなく、できることなら向き合いたいものではなく、なのに一歩踏み込んだ瞬間逃げ場がないので、みつ子フィルタが破られそうになるたび、あるいはみつ子フィルタの存在を感じる度に、その向こうに見える深淵を感じたのかなと。

まあ、覗き込む、覗き込まないも、私次第ではあるのですが。