きっと彼女は神様なんかじゃない / 入間人間

 

 この表紙でこのタイトルで帯に「ガール・ミーツ・ガール」と書いてあって、それは確かに何も間違っていないのだけど、その印象通りの透明感のある雰囲気に反して、物語自体は非常に歪んだ形というか……何の形をしてるんだこれは? みたいな。

入間人間らしいと言えばらしい道具立てで作られたストーリーは、いきなり何だか良くわからない世界に放り出されて、原始的な暮らしをする集落でひとりぼっちの少女の視点で進みます。そして彼女は神の岩と言われる遺跡で永い間眠っていた少女に出会います。その後も何かがおかしいような違和感を残したまま淡々と進む物語は、次第に神の岩の正体や東の民、そして自称神の少女の正体にも何となく想像がついてきて、明らかになる真実も当たらずとも遠からずだった感じ。ただ、その少し不思議要素はいったん脇に置いておいて、なんというか、このお話は、その。

自称神の少女がどうして永い眠りについていたのか。どうして彼女はその少女に惹かれていったのか。真実が明らかになった時、明らかになる彼女の置かれている状況と、彼女の選んだ道。淡く淡く、一定のリズムを崩さないような雰囲気の中で、バッサリと切り捨てられる過去、その残酷さ。

略奪愛百合というか、たぶんそういう話になるんだとは思うのです。飄々とした彼女は涙を流しながらも、あっさりとこちらを選んだ。執着したはずの感情は、形というものに簡単に覆されて、断ち切られて、彼女たちはまた別の執着で次の道を歩きだす。

それをお膳立てしたのは、文字通りに仕組まれた、できの悪い神話のレプリカみたいな世界。救えない、笑えない、冗談のような巫山戯た未来図が描くものは何もかもが薄っぺらくて安っぽくて、けれどそれを本当として彼女たちは生きていくしかない。

「生きていくしかないんやね、ここで」

と繰り返される言葉が彼女の全て。そして、明日を生きれるかも分からない二人が生きていくこの物語の全て。ただ、これを生きることだと高らかに謳い上げられると、それはちょっと……ええ……となる思いもあります。でも、思い返してみるに、それはみーまーの頃から入間作品にずっと通底するものだったように思えて、これはちょっとアプローチが違うだけなのかなと、そんなふうに思いました。