HiGH&LOW THE MOVIE 3 FINAL MISSION

THE MOVIE2を見て脳がすっかりやられてしまった私はシーズン1からTHE RED RAINまできっちり履修の上、THE MOVIE3を観に行ってきました。結論から言うと素晴らしかったです。あまりに詰め込みすぎだし、ザム2に比べると派手さでは劣りますし、見ている間は色々??? な所もあるのは相変わらずですが、こうやって人心地つくとハイローのことしか考えられなくなるし、語りたくなるし、考えているうちに要素要素の繋がりが脳内で補完されていって、最高の物語が現出していくの、狙ってやってるのであれば天才かと。あんまり狙っているような気はしませんが。

そして何より、数々の要素や伏線を見事に回収してきっちりテーマを描いて見せたのホントびっくりしました。とかく俺の考えた最高にかっこいいシーンやグッと来る設定を優先している感じがあるハイローなので、色々整合性ぶっ飛んでいたり、突っ込みどころは枚挙に暇がないのですが、そんな数々の設定が後付にしては美しすぎる回収をされるのです。同時に結局なんだったんだよという放り出し(RUDEの掘ってた謎鉱石は謎のままだった……)と、回収しながらお前なんなんだよポイントを生み出していくのも凄いのですが。どういうことだよ屋上打ちっぱなし。なんなんだよ爆破セレモニー。なんで二段階なんだよ爆破セレモニー。

今回は九龍グループという大人たちとの対峙によって話はどちらかと言うと重く、アクションも若干少なめ。なので、ザム2の喧嘩祭じゃうおおおおおおみたいなテンションの上がり方はしないのですが、やっぱりハイローらしいトンチキさが終盤に行くほどに隠しきれずにあふれてくるのが最高だと思います。達磨一家の花火ね、本当に最高かよと。CGはあれだけどね。達磨一家最高かと。大馬鹿を大真面目にパワーで押し切るの大好きです。

 

あとは少ないとはいえやっぱりアクションは見どころでした。これまでの作品も含めて、ハイローは色々凄いところがあるのですが、やっぱりアクション。もうとにかくすごい以外の語彙力を失うやつ。生身のアクションも素晴らしいしキャラクターやチームによるバリエーションも豊富だし、チーム入り乱れた闘いの人数の多さも凄いです。あとザム2の時などはカーアクションが半端なさすぎて、邦画はハリウッドなんかに比べたらまあこのくらいという先入観を遥か彼方にぶっ飛ばしていった感じ。お金と才能とやっちまえという勢いが熱いです。

あと今回見ていても感じたのは全ての画面でこだわられた画作り。普通の商店街である山王商店街と東南アジアチックなスラム街である無名街が地続きなのどういう世界だって感じなのですが、同じ作品の中でどちらかが浮いたりしないのは凄いと思います。それどころかあのSWORDの5チームがてんでバラバラのファッションと世界観を持ちながら一つの画面に収まっても、そういうものだという説得力があるのが本当に凄い。アニメとかならまだ分かるのですが、実写でそれを実現するというのは、細かいこだわりとかの積み重ねがなせる技なのでしょうか。

 

相変わらず全員主役を掲げるハイローは死ぬほどキャラクターが多くて、それぞれの物語や関係が多岐に及んで、ザム3だけでもお腹いっぱいを通り越すくらいに2時間に要素が詰め込まれています。でも、今回きちんと方向性を持って話がまとまっていったように、それらがバラバラにならないのは、基本的にハイローのテーマがぶれていなくて、それの変奏が色々な設定、キャラクターによって描かれているだけだからだと思います。

ハイローの話というかSWORDとMUGENの話の軸にはずっと「大人と子供の対比」「正しさと何かを守ること」「生きてる限りやり直せるということ」「変わっていくものと変わらないもの」みたいなテーマがあって、どのチームであろうと度の時代の話であろうと、そこは同じことを形を変えて繰り返しているようなイメージ。

例えばSWORD地区の抗争は子供の世界の象徴で、あの喧嘩祭りは死者が出ないしベタベタな少年ジャンプ的世界観で攻めてくるし(それが良いのですが)、子供の世界のクライマックスだったザム2はの敵役はとにかく悪いやつであるDOUBTで、最終的には殴れば解決した訳です。ただザム3は九龍という大人たちを相手にして、そのやり方ではもう通じないというのが大きなポイントになります。
そして、それはシーズン2からザム1にかけて、MUGENというか琥珀さんが見てきたもので。大人になっていく龍也たちと変われなかった琥珀、子供のまま大人の世界と対峙するのに力だけを求めた結果としてのどうしちまったんだよ琥珀さん。ただ、そうやって道を間違えた琥珀さんも、生きていたからまたやり直せた。ノボルだってそう。そしてTEH RED RAINを経た雨宮兄弟も、兄の死を通じて見せつけられた世界がある訳で。

九龍グループが大人の象徴として描かれる汚さは殺害、隠蔽、政治的な力のかけ方で、それは拳一つで闘ってきたSWORDのやり方との対比になっていて、今回はそこにコブラがどう立ち向かっていくか、またこれまでを経た琥珀や雨宮兄弟がどう向かっていくかになっていたと思います。結局、公害隠蔽を暴いてどうこうなるのかわからないけど、自分たちの正しさを手に喧嘩して解決とは違う道を進んだというのが大事だったのかなと。そこにまた、西郷という清濁併せ呑みながら、己の正義を貫いた大人が最後に後押ししてるのもいいなと思いました。あと、九龍側もまたかつては何かを守りたかったというのが示されるのがまたいいなと。

MUGENの物語の大きなテーマだった変わっていくということは、今回RUDE BOYSや山王連合会が主に背負っっていたように思います。勝ったとか負けたとかそういう感じではなくて、守ったものが何で、変わっていくものが何で、どういうことの筋を通したかったのか、みたいな話。無名街がなくなるだとか、カジノができるか出来ないかではなくて、それも変化の一つで、じゃあ守るべきものは何だったんだという。そういう意味で、スモーキーのどこに行っても家族だは、龍也のMUGENがなくなっても仲間だろに重なるし、ハイローはずっとそういう話だったのだなと。永遠じゃなくて無限、というのも。なので、この先のことはわからないしたとえ九龍が壊滅しなくても、SWORDとMUGENと雨宮兄弟の物語としては、綺麗にザム3でまとまった感じがあります。

終わらない喧嘩祭りに終始してぶち上げテンションで全てを突破するのではなくて、子供の時代から大人の時代へという変化を描いたのは、ハイローは大真面目すぎるくらいに大真面目な青春作品だったのだなあと改めて感じた所でした。

 

ハイローのこれまでの作品に貫かれてきたように感じる、粗をなくすんじゃなくて、粗なんかいくらあってもいいから、とにかく描きたいもの、見せたいもの、伝えたいことに妥協はしないというスタイル。それが全て噛み合って熱が生まれると、減点法で見れば0点だけど加点法でみると10万点みたいな現状を引き起こすのだなあと思います。この感覚は覚えがあって、それが何かというと、キンプリとか、ラブライブ!とか、ガルパンの映画を見ている感じに近い。おれの考えた最強の映画、に実が伴って迫ってくるこの熱量。確信と勢いとライブ感。

そしてこの中の人とキャラのリンクする2.5次元感と多すぎるくらい多いキャラクター、強烈にぶっ飛んだけれどどこかで見たことはあるような設定、キャラクター同士の関係性で話を膨らませていくドライブ感。最近の流行りジャンルを追いかけてきたオタク的には、LDHという触れたことのなかった遥か異郷の地でも、やはりこれが今最新のエンタメなんだ、我々の住んでいる世界は間違ってはいなかったという謎の感動がありました。ハイローを見ることで偏差値が一桁になっていたので勘違いだった可能性もありますが。

ここまで見届けて、そりゃあこれは流行るだろうし、出会えてよかったHiGH&LOWという感じ。最高のコンテンツだと思います。